ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

シロツメクサの絨毯の上で

http://www.flickr.com/photos/63894760@N00/9275550146
photo by Pensiero
今から13年前の話だ。
その頃、俺には思いを寄せる女性がいた。
同じ職場で彼女のほうが10才以上歳上だった。
彼女には旦那も子供もいた。

彼女はパートで働いていたのだが、なんだか妙に気があってすぐに仲良くなった。
最初のうちは家庭での小さないざこざの愚痴を聞いたりしているだけだったが、そのうちに旦那さんと離婚を考えているという深刻な内容の相談に変わっていった。

何度と無く仕事終わりに近所のファミレスで相談を受けていた。
職場では決して見せない彼女のアンニュイな表情や仕草に、当時まだ若かった俺は徐々に心を奪われてしまった。
同年代には無い大人の女の色香と憂いを感じてしまったのだ。


彼女の旦那さんは地元ではそこそこ有名な会社の社長さんで裕福な暮らしをしていた。
パートの通勤に使っていた車はアウディのA8だったし、普段持っているバッグはエルメスのバーキンだった。
パートに出る理由は暇つぶしと社会との接点のためだと彼女は言っていた。


ある日彼女がドライブに行きたいと言い出した。
「運転はキライだから私の車運転してくれる?」
断る理由もなかったから俺は彼女のアウディの運転席に座った。
右ハンドルなのだがレイアウトが左ハンドルのそれなので初めての時は面食らった。
ウィンカーとワイパーが逆なのである。
慣れないうちは何回かウィンカーを出そうとしてワイパーを作動させてしまった。

彼女にどこに行きたいか尋ねたけれど「どこでもいいわ」と言ったので、自分の庭のように慣れ親しんだ河口湖に行き先を決めた。
片道2時間ほどの道程だからちょうどいいと判断した。


ほどなくして河口湖に到着した。
河口湖の南岸のとある場所に人があまりいないけれど、緑の絨毯のようにシロツメクサがびっしりと生えそろっている場所がある。
その近くに車を止めた。
彼女は履いていたサンダルを脱いで水辺に入った。
映画やドラマで見るようなお互い水を掛け合うあのシーンを彼女は億面も見せずにやるのだ。
見ているこちらが恥ずかしくなってくるのだがそういう無邪気なところも彼女の魅力だった。


ひとしきりはしゃいで疲れてしまった俺達はシロツメクサの絨毯の上に寝転がった。
湖岸を舞う5月の風は新緑の香りをはらんで頬を撫でるように通り過ぎていく。
彼女は急にこちらに向いて「ねえ、お願いがあるんだけど」と神妙な顔をした。

「私のこと好き?」
いきなりそんなことを言い出した。
いままでそれとなく気持ちを伝えてはいたけれど、はっきりと自分の気持ちを伝えてはいなかった。
だから意を決して言った。
「好きだよ」

旦那も子供もいる女性に告白するという、浅はかなことしてしまったことに若干の後ろめたさはあったけれど、嘘をついて自分の気持ちをごまかす事はできなかった。


寝転がっていた彼女はその告白を聞いて急に起き上がって俺にこう言ったんだ。
「10分以内に四つ葉のクローバーを見つけてくれたら、旦那と離婚する」

そう言った彼女の表情はイタズラで子供っぽいのにどこか妖しげだった。

「よーい。スタート」
俺の返事も聞かずに彼女は時計を見ながら合図した。
俺は飛び起きて、今まで寝っ転がっていたシロツメクサの絨毯に、顔をこすりつけるようにして四つ葉のクローバーを探した。

http://www.flickr.com/photos/98274023@N00/2067139101
photo by Bill Selak


その数カ月後。
彼女は正式に離婚した。