ボクが高校生だった時の話だ。
現在の感覚と当時の感覚ではかなりの違いがあるはずなので最初に少々説明させていただく。
ボクが高校生のころは当たり前だけれどDQNなんて言葉は無く、ただ単に不良と呼ばれていた。
ボクの世代は漫画ろくでなしBLUESがちょうど流行っていた頃でビーバップハイスクールは一つ上の世代に当たる。
その頃の話なので現在ほどDQNのハードルは低くない。
普通の生徒同士が殴り合いの喧嘩をすることもあったし、タバコやお酒を飲んだりしてもそれだけで即不良とレッテルを貼られることは無かった。
不良か否かは見た目で判断されることの方が多くて、自分が不良であることを皆に認めさせるにはそれなりのファッションが必要だった。
自分は不良であると看板を掲げることで周りから認知される。
不良のファッションをしないのに調子に乗って粋がっている奴は「シャバゾウ」と呼ばれ馬鹿にされていた。
要するに見た目と行動を一致させないといけなかった時代だった。
そういう看板を常に掲げているから町中などで同じような者と接触すれば喧嘩が始まる。
道の向こうから分かりやすい格好をした奴がこちらに向かってくるときに目を逸らせばその時点で負けである。
だからそういう連中は自分の看板を守るため、ひっきりなしに喧嘩していた。
不良(DQN)が見た目でわかりにくい現在とは全く違った若者の文化がそこにはあった。
クラスの中で不良の割合はだいたい10%
スポーツマン系ウェーイ族が同じ10%
ガリ勉優等生が5%
ネクラオタク族が5%
残りは特筆するほどのものが無い「普通」に属している。
金八先生のドラマに出てくるクラスのイメージはかなり現実に即していたのでそれを参考にしていただくとちょうどいい。
その中でボクは「普通」に属していた。
高校入学当時、後ろの席に座っていたのがオタク族だったので、そちら方面との人脈といつの間にか繋がってしまい油断するとオタク面に堕ちる可能性もあったがなんとか踏みとどまった。
その頃のボクはなんだか毎日イライラしていて自分から人に話しかけたりすることはなく誰かに話しかけられても「あぁ?」と不機嫌に返答したりするのでそのうち誰からも声をかけられなくなった。
自業自得である。
結局新しいクラスでの友達づくりに大切な期間を無駄にしたため話ができるような友達はオタク族の数人だけだった。
自分では「普通」に属していたつもりだが他から見たら「オタク族」として認知されていた可能性は排除できない。
二学期が始まってすぐのころだったと思う。
席替えがあってボクの後ろの席は不良のN君が座っていた。
一番窓際の列で最後尾がN君でその前がボクだ。
ボクは「普通」に属していたけれど決して真面目な生徒では無かったので授業中はとにかく寝てばかりいた。
不良のN君はそんなボクに時々ちょっかいを出してきた。
寝ているボクの椅子を蹴ったり消しゴムを頭にぶつけてきたりした。
あまりにしつこいとボクは振り返って「やめろ」と睨みつけてまた寝た。
するとN君は案外すんなり止めるのだった。
N君はこのクラスの不良ヒエラルキーのトップに位置していたけれど実際は隣のクラスのO君の取り巻きの一人だった。
O君は一年生の番長で二年、三年からも一目置かれる不良エリートだった。(この時はまだ知らなかったがO君が地元で有名な暴走族の副総長だったことをボクは後で知ることとなる)
その取り巻きだったN君はまさに威を借る狐で、ボクは腰巾着野郎と内心馬鹿にしていた。
そんな気持ちを見透かされていたんだと思う。
ある日のN君のちょっかいは度を越していた。
寝ているボクの耳を美術の時間に使う絵筆でくすぐってきた。
何度も手で振り払っていたがなかなか止めない。
いい加減頭にきて「次やったら殺すぞ」と凄んでまた寝た。
いつもならここで止めるのだがN君は止めなかった。
だからボクは宣言通りキレたのだ。
英語の授業だったと思う。
ボクは机を蹴飛ばして起き上がり、振り向きざまにN君の顔面に拳を叩き込んだ。
その一撃に面食らっているN君の胸ぐらを掴んで後ろの黒板に投げ飛ばした。
さらに馬乗りになって殴り続けたと思うがあまり覚えていない。
同じクラスの柔道部の奴にボクは抱え上げられてそこで喧嘩は終わった。
女性教師がヒステリックな悲鳴をあげていたのはよく覚えている。
騒ぎを聞いて飛び込んできた指導主任の教師によってボクは生徒指導室へと連行された。
長い事情聴取の間、腫れ上がった拳の何箇所からか血が流れていたので骨が折れてたりするとギターが弾けなくなっていやだなぁとそんなことばかり考えていた。
ボクは4,5人の教師達から尋問を受けていたのだがその記憶が殆どない。何を聞かれたのか思い出せない。
そんな中、気がつくと生徒指導室の入り口に母親が立っていた。
母親の姿を見たときにこれは大事になったと初めて自覚した。
母親が教師達に、とにかく謝り続けてるのを横目で見ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
結局ボクは一週間の停学になった。
学校からの帰り道、ボクは母親に一言だけ「ごめん」と言った。
母は何も言わなかった。
そのままスーパーに寄って夕飯の買い出しに付き合わされた。
大きなスーパーの袋を両手に持ったボクが時々拳を痛そうにするので母が持とうか?と言ったけれどそのまま持ち続けた。
母と二人で歩いたのは何年ぶりだっただろうか。
二人並んで歩いていると母はボクを見上げて「あんた大きくなったわね」と言った。
この時の拳の傷は今も残っている。