ネットの海の渚にて

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自殺をテーマに記事を書くということの難しさと注意点の話

正直このテーマで記事を書くかどうかものすごく悩んだ。
自殺を扱うには極めて丁寧な配慮が必要になるからだ。

個人のブログだから何でも好きなことを書けばいい。
俺は今までに何度もそう言ってきた。
書いたことの責任は取る必要はあるにせよ書く内容については自由でなければならないと思っている。

けれど自殺をテーマにする場合はちょっと違う。
個人のブログが大手メディアと同等の影響力なんか持っていないことは明らかだけれど、先日の某ブログのように炎上することで拡散され多くの人の目に触れることもある。しかもガジェット通信から寄稿の依頼が来てそれを受けたらしく、そこでも掲載されているみたいなのでそれも合わせると相当数のPVがあったに違いない。
自殺をするかしないか思い悩んでいるボーダーライン上にいる人の目に触れた可能性もある。



内閣府が、メディアが自殺関連の話題を扱う際の指標というか注意点を公開している。
もちろん個人のブログだからこれに従う義務は無いのかもしれないが「自殺」というテーマを扱う以上、最大限の配慮は必要だろうと俺は考えている。
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これによると「自殺する人間は弱い」とうたった例のブログについては下記の項目に抵触していると感じた。

  • 自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。
  • 見出しのつけかたには慎重を期する。
  • 自殺で遺された人に対して、十分な配慮をする。
  • ドコに支援を求めることができるのかということについて、情報を提供する。


彼の記事は自殺をするものは弱いと断言している。
自殺に至るまでに幾つもの選択肢があったはずでそういった努力もせずに自殺という選択をするのは弱いと断じている。
そればかりではなく弱い人間に対して「クソ弱い」と煽るような文言を入れている。


的確な判断が出来ずに追い込まれ自殺という手段を講じる人間に対して「弱い」と吐き捨てることが一体何になるのか俺には全く理解できなかった。

強い弱いで表現するならば確かに自殺しようとする人間は弱いのだろう。
生きるという行為からドロップアウトするために自殺するのだから弱い人間なのだろうと思う。
けれど弱いからなんなのだ。
人間は誰しも強くて弱い。
この強いとか弱いも定義をしっかりしなければ上手く伝わらない。


けれどもう、言葉遊びなんかどうでもいい。
炎上した記事は読者が誤読したから悪いというような言説が主に本人とその廻りにあった。炎上後にツイッターでさらに煽るような発言も目についた。

その後に彼が書いた記事も結果として更に燃料を足すような内容だった。
彼が一連の記事でいったい何をしたかったのか、何を伝えたかったのかよくわからない。

彼が書いた記事は多くの人の目に触れ、そして多くの人の「なにか」を刺激したから炎上した。
その炎上の理由を読者の誤読と一蹴する傲慢さは甚だ我慢ならない。
仮に誤読だとしたらそう読ませるような書き方をした自分の落ち度は無いのか?

コメントの内容を見ればわかるようにほぼすべてが否定的なものだ。
ほぼすべての人が誤読する文章ならそれはもはや誤読とはいえない。
もしこれを誤読が原因とするならそれこそ筆者のエゴである。


おそらくはてなでは今回にかぎらず今後も「自殺」をテーマにした記事が上がるだろう。
決して自殺のボーダーラインにいる人の背中を押してしまうような記事だけは書いてもらいたくない。
すべてのブロガーさんにお願いしたいのは慎重に配慮した記事を書くか、もしくはこのテーマに触れないかだ。
よろしくお願いします。
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日本の自殺 (文春新書 863)

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