ネットの海の渚にて

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「知らない」は免罪符にならないよって話

http://www.flickr.com/photos/99458274@N02/13922458318

こちらの記事を読ませていただいた。
「で、誰?」「知らない」というコメントが全く理解できない - K Diary「で、誰?」「知らない」というコメントが全く理解できない - K Diaryはてなブックマーク - 「で、誰?」「知らない」というコメントが全く理解できない - K Diary

全くもって同意である。
「知らない」は免罪符にならない。


2ちゃんねるでもブクマでもこのような言説は頻繁に見かける。
そういったコメントを読むたびに知らないことを免罪符的に捉えてる感覚に違和感を覚える。
「知らない」ことはマイナスの感情であるのが普通だと思っていたがこういうコメントを書き込む連中にとっては違うのだろう。

「知らない」ことに口を挟むのは恥ずかしいことだという感覚があるから、とてもじゃないがその事象について生半可な知識でいっちょ噛みするのは憚られる。

俺の感覚で言うのなら「知らない」ことは口をつぐんで静観するしかない。


「で、誰?」「知らない」
このコメントの殺傷力の強さ。
自分が知らない人物に対してこのコメントをつければもうそこで終わりである。
反論は基本的に出来ない。
知らないのだから「知らない」と書いて何が悪いという反論が返ってくることが予想されるが、そもそも「無知」を武器にしてしまっているのだから話が噛み合うわけがない。

「知らない」と宣言することで対象人物よりも有利に立っているような勘違いがそこに生じているだけなのだが、当の本人は悦に入ってるので気がつかない。



「テレビとか見ねぇからw」
こういうコメントもよく見かける。
「知らない」と根っこの部分は同じだと感じる。

テレビを見ない俺 > いまだにテレビを見ているお前ら
知らない俺 > 意味のないくだらんことを知っているお前ら

テレビを見ないというコメントを書き込む連中の頭の中には上記のような図式ができている。
知らないから、見ないから「エライ」という図式。

テレビのような低俗で旧世代的なメディアをいまだにありがたがって見ている可哀想な情弱層。
それに引き換え自分はネットを駆使して、あるいはキュレーションサービスを利用して溢れる情報の中から有意義な情報に触れている情強。
そういった感覚があるのだろう。
実際には、まとめサイトを斜め読みしたりxvideosに入り浸っていたりするくせにだ。


そういう連中が「無知」を盾に殺傷力の高いコメントを付ける。

噺家殺すにゃ刃物はいらぬ、あくびの一つもあればいい

「知らない」「誰?」というコメントは往々にして有名人に対して付けられるコメントだが、「無関心」「興味が無い」という意味が内包されているから言葉の刃は極めて鋭い。
くだらないコメントなんだから無視すればいいのだけれど、言われた当事者はやっぱり傷つくだろう。

世の中に知らないことなんか星の数ほどある。
知らないことをわざわざコメントで表明するのは意味が無いことを理解して欲しい。

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photo by adam_moralee