ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

ブログを書かないと死ぬ病

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俺が定期的に購読しているブログは、そのほとんどがこじらせ、非モテ、非リア充だ。(もちろん全てじゃない)
別にそういったものばかり選別して読んでいるわけじゃないんだけど、自然とその手のブログの比率が増えてくる。

時々自分もTwitterでつぶやいたりするんだけど、リア充だったらブログなんか書いてないしTwitterだってやっていない。
実際、リア充だった頃はブログなんか書いてない。
だからブログを書く人っていうのはそういう人が多いんだろうと思っている。(あくまでも比率の問題)


現在は絵に描いたような非リア、独身、結婚できないおっさんとして十二分に拗らせまくってネットの片隅で記事を書いているわけだけど、おっさんだって幸せになりたい。

中学からの友人たちはもうとっくに結婚していて、この間は二人目の男の子が生まれてなんだか俺も嬉しかった。

もう一人の腐れ縁の友人の子供にいたってはもう高2になる。
ハタチそこそこで結婚してすぐに子供ができたんだから、それぐらいの年齢になっていて当たり前なんだけど、その事実を改めて知るとやっぱりびっくりする。


自分がこれまで生きてきて、いったい何を残してきたのかなんてちょっとおセンチな感慨にふけったりすることもあるんだけれど、そこで過去を振り返ったとしてもいいことなんか何もないことも、これくらい生きてるとわかってくる。

過去の行いが現在の因果につながっているのは自明の理だけれど、だからといって過去の自分の横っ面をひっぱたいて人生のレールの修正ができるわけじゃない。

だからこそ今現在の自分と、その置かれている環境に感謝して、できることを探していくしか無いのだろうなぁと今更ながら思ったりする。


とはいいつつもこの環境に甘んじてブログなんか書いていないで、外に出て女の一人でも引っ掛けてこいっていう話なのもわかってる。

仕事でもプライベートでも、腹を割って話せる人の不在によって、自分の心の中に日々降り積もる澱のようなものを吐き出して昇華させることが出来なくなる。

恋人がいた頃はそういった人生の澱を話すという行為で吐き出していたのだと思うが今はそれが出来ない。
気の置けない友人も、もちろんいるからそういった連中に声をかければきっと朝まででも話を聞いてくれることもわかっている。


だけれどもそういう友人に甘えたくないというか見栄もある。
強がって生きてきたツケが回ってきたとも言える。
人に弱みを見せないで常に内実は別として胸を張って生きてきた。
悩みを相談するのは自分の弱みを相手に握らせることとさえ考えていた。

だから今、俺はこうやってブログを書いているのだと思う。


ブログを書くことで心の澱を排出したり、頭のなかでこんがらがっていることを書き出すことによって整理したりできる。
そういう意味では匿名で吐き出せるブログには助けられている。


ブログなんか書かなくったって死にはしない。
だけど今もしブログをやめたら肉体的には死なないかもしれないけれど、精神的に死んでしまうかもしれない。

ちょっと大げさに言い過ぎた感あるけど……。

まぁさすがにブログで生き死にはないけれど、精神安定剤的な効能はあると思ってる。


だから死なないように今後もブログを書き続けるつもりなんで皆様よろしくお願いします。