ネットの海の渚にて

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コメント欄の賛否だけで判断するのは危ないかなと思う話

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photo by funktionhouse

賛否が別れる事象について言及した記事を書けば、それを読んだ読者の反応は当然ながら割れる。
コメント欄が真っ向から衝突するようなことも起こる。
そういった喧々諤々を巻き起こす記事を書くとPV目当てとか、便乗野郎と罵られたりもする。

特にジェンダーを扱った内容の場合は元々の火力が強いから、ちょっとでも書き方を誤ると両サイドからボコボコにされることもある。
ただ注意したいのはそういった過激な反応が必ずしも多数派とは限らないということだ。



コメントする人は1%

3万PVがあった記事でもコメントは300程度しかつかない。(当ブログでの実際の比率)
つまり1%の人がコメントを書き、残りの99%の人は何もメッセージを残さないのである。
コメント欄の趨勢だけを見て、こういう意見が多数派なのだろうと決めてしまうのは少し待ったほうがいい。

コメントというのは賛同者よりも反対の立場にある人のほうが圧倒的に残していく確率が高い。
賛同者の場合は書かれていることに納得してしまっているわけだから、特にコメント欄に書くことが無い。
あえて書くなら「納得出来ました」とか「同意です」みたいな毒にも薬にもならないつまらないコメントになる。
そんなことは皆わかっているから、わざわざコメントを残さない。

ところが書いてあることに納得ができていない場合、コメントして何か言ってやろうという気持ちになると思う。
書けることが思い浮かぶから、コメントされる確率は間違いなく高まる。


コメント欄という性質上、よくよく分析してみたら騒いでいたのはノイジーマイノリティだけだったということが起こりうる。
コメントを残さない人のほうがよっぽど多いわけで、記事に付いているコメントの趨勢がその記事を読んだ人たちの意見をそのまま表しているものではないということを、理解していないと見誤ることとなりかねない。


先日のルミネもいつぞやのベビーカーも絵に描いたような炎上だった。
これらの件の場合は騒いでいるのは「ノイジーマイノリティ」だけではなくて、いつもは意見しない「サイレントマジョリティ」までもが声を上げざるを得なかったほどの酷い内容だったから「大炎上」したと見ている。


反対に、一部の声の大きい人達が集まってわーわーやることで、気に食わない相手を擬似的に炎上させるということは出来ても、これだけネットが浸透すると見る目を持った人も多くなるわけで「ノイジーマイノリティが騒いでいるだけ」と看破されて一気に終息するのが最近のトレンドのような気がする。

近年は声が大きいだけでは昔のように、ネット上で扇動出来なくなってきているのは肌感覚として感じている。

(注 今回のエントリーはあくまで一般論としての「炎上」を扱っており、特定のケースを取り上げているわけではありません)