ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

「常識」という案外あやふやなもの

いわゆる「常識」というものが、額面どおりにならない場面っていうのは意外に多い。
よくあるのが世代間による常識の違いだ。

昔は映画館でも電車の中でもプカプカタバコが吸えた。
むしろ大人の男がタバコも吸えないようでは一人前ではない、みたいな風潮さえあった。
そういった常識は時代が下ると共に失われていって、むしろタバコは他人を巻き込む「害」の代表選手のようになってしまった。


新入社員との雑談で映画館の話をしていて、私が子供の頃の思い出としてモクモクと立ちこめるタバコの煙が邪魔でスクリーンが見えづらかったというエピソードに「またぁ、そんな嘘で騙そうとして」と反応したり、昔の電車のトイレは便器の中から直接地面が見えていて怖かったと言っても頑なに信じてくれなかったりした。


別にものを知らぬ新人をせめるつもりなど毛頭ない。
いわゆるジェネレーションギャップというものなので、私だって若いころに先輩方から同じような顔をされた。おそらくこの新人だって10年後には、入ってきた新人に「俺が若い頃はなぁ……」みたいなことをやるのだろう。
ある意味ではこの新人いじりというのは、はるか昔から脈々と受け継がれてきて、今後も延々と続いていくお約束みたいなものなんだと思う。





ただ、言外の常識という前提条件が揃っていないと、会話がいちいち面倒になることはある。

この新人は映画が好きということだったのだが、見たことのある作品が最近のモノに偏っていて過去作品との比較などに話が及ぶと、いちいち説明を付加しないといけなくて時間がかかる。
彼はまだ若いのだから視聴した作品数が少ないのも当然で十分理解できるけれど、同じく映画を趣味としている私の友人と話すときのような爽快感はない。
同年代でほぼ同等の知識量と共有できる前提があるからこそ、数段すっ飛ばしていきなり核心を突くような会話でも成立するのだが、それが著しく不均衡な相手だとそうはいかない。


たまたま先日こんなつぶやきをした。
上記に出てくる新人の話なのだが、彼は川に魚がいることを知らなかった。



このつぶやきだけを見ると彼が非常識のように感じるかも知れないが、実はそれなりの訳がある。
なぜ川を覗いたことがないのかと問うてみたら彼は水場に遊びに行くことを、子供の頃から母親にきつく禁じられていたそうだ。

おそらく水の事故を恐れた彼の御母堂が、そう教えこんでいたのだと思うが、それが元になって彼は水辺に近づくことを大人になっても禁忌していたようだった。
だから町中に流れているような河川を覗きこむことすらしなかったから、川に魚が生息しているというイメージを持っていなかったのだと思う。


この新人が川魚を知らなかったという事実をバカにして笑う他の社員もいた。
けれど私は笑えなかった。
確かに最初は驚いたけれどわけを聞いて納得できた。


そんな彼も一年が経って、今年入ってきた新人に先輩風を吹かせている。