金メダルを取ったスポーツマンが「努力は必ず報われる」といったような趣旨のコメントを言ったりするが、私はこれをあまり素直に聞くことが出来ない。
確かにこの人は誰にも負けないくらいの努力をしてきたのだろうと思う。
血のにじむような練習に耐え、普通の人なら根を上げるようなつらい精神状態に追い込まれてもそれを乗り越えてきたからこその金メダルだというのは間違いのない事実だ。
ここに嘘は存在しない。
けれど私がいまいち得心出来ないのは敗者の存在が無視されているからだ。
金メダルを取るにはまず日本代表になる必要がある。
日本代表になるには国内の大会で優勝をしていなければならない。
国内大会に出られるということは、その前段階で充分な成績を残しておかなければいけない。
さらにその試合に出るには学生時代に別の大会で優秀な……等など。このように金メダルを取るまでの道なりを延々とさかのぼってみるとその全てで勝ち上がってきたということだ。
つまり彼が金メダルを取った栄光への道程を振り返ってみたら、道のあちこちに夢破れた無数の敗者が転がっているということになる。
その大会で金メダルを手にできるのは世界で一人だけしかいない。
金メダリスト以外は全て敗者であると言い換えてもいい。
ではこの敗者たちは努力が足りなかったから負けたのか?
おそらく敗者たちも金メダリスト同様、血を吐くような苦しい練習にも耐えて来たことだろうと思う。
もしかしたら金メダリストよりも遥かに多くの努力や人生をかけてきた選手もいたかもしれない。
努力は決して裏切らないと信じて……。
ほんの一握りの成功者の放つ言葉は確かに金言のような輝きがある。
なぜならそこには勝者であるという圧倒的な説得力があるからだ。
金メダリストの生涯を振り返ったらおそらくドラマチックな出来事もあるだろうと思う。
常人では考えられない高みにまで到達した超人だからこそ金メダルを獲得出来たわけで、そういう人たちの話す言葉は一点の疑いも挟まない圧倒的な説得力がある。
確かに彼らの言葉は真実なのだが、同じくらい努力をして人生をかけたのに一度も日の目を見ることもなく去っていくスポーツマンは多い。
いや、多いというレベルではなくて、割合で言えばほぼすべての人が敗者になる世界なのだ。
栄光を掴んだ一握りの勝者の後ろには夢破れた数え切れないほどの敗者の亡骸が山を作っている。
いわゆる「名言」というものを好む人は多い。
スポーツマンや芸術家、政治家や企業家。それぞれの世界で成功した者の言葉が「名言」としてもてはやされる。
たしかにその言葉はなんとなくためになりそうな気もする。
だが、先にも書いたがそういった成功者はあくまでも成功したからその場にいるわけで、同じように努力してチャレンジしたけれど、失敗に終わって退場した者の存在を忘れてはいけない。
「努力をすれば必ず成功する」という言葉は嘘だ。
それはあくまでも努力が実った勝者の結果論でしかない。
最近のはてな界隈では18歳の青年が大学をわずか4か月で退学して、なにを生業にするのかよくわからないけれどとにかく起業するのだ!という元気な若者が話題になっている。
彼だけではなく、成功者の言葉にほだされてとんでもないチャレンジをしてしまう人がいる。
安定した正社員の座を投げ打ったり、大学の新卒切符を捨ててしまい「普通」と呼ばれるものよりも遥かに競争率が高いトリッキーな世界に飛び込もうとする若者がいる。
それは努力さえすれば成功すると信じてしまっているからだ。
本当のことを言う。
一握りの成功者になるには、誰にも負けない努力をして、かつ努力だけでは得られない類まれな才能を有し、さらに神からのプレゼントであるずば抜けた強運を持つ者だけが成功するのであって、甘言に惑わされてリスクを抱えさせられた若者のほとんどは沈んでゆくものなのだ。
そういった無謀なチャレンジは若者の特権であるけれど、それにしたってなんでわざわざハイリスクローリターンな世界に飛び込んじゃうのか、おじさんからすると本当にもったいないと感じるし、捨てるくらいなら新卒切符を俺にください人生やり直したいですお願いします……となる。
大人になるとわかることだけれど、妙に前向きで口当たりの良いことばかり言って擦り寄ってくる人は、大抵金目当ての詐欺師かもしくはたんなるバカなので真面目に取り合わない方がいいし、甘言ばかりに浸っていい気分になっていると、私のようにダメなおじさんになってしまうので、私のような者を反面教師にして、清く正しく生きていっていただきたいなと願いつつ、おじさんからは以上です。