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ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

ゲームフィッシングにまつわるエゴイズムと自己満足の話

釣り コラム

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先日この記事を書いた。dobonkai.hatenablog.com

すると同じく釣りを趣味としていらっしゃるゴリブ (id:goriboo5050)さんから言及をいただいた。goriboo5050.hatenablog.com
こちらの言及記事を読ませていただいて、これはお返事を書かなくてはいけないと思ってはいたのだけれど、なかなかうまいこと自分の中で消化できない問題が含まれているので、どうしても後回しにしてしまっていた。
できたら無かったことにしたいくらいだったのだが、喉の奥に引っかかった小骨のように常に意識してきたのも事実だ。


ゴリブさんは私の記事についてこう言及している。

食べる事を目的に命を奪うのも、命を奪う事を目的に狩るのも、やられる側からすれば大して違いなんてなく、『ちゃんと食べて命を頂きました。だから許してください。』なんてのは、前述の『奪うための言い訳』と同じで、富士山山頂から見下ろすくらいの上から目線の屁理屈だ。だから子供に命の刈り取り方を教える時は、そのうえでどう考えるかを問い、間違えないように気を付けている。

自分で当該記事を書いている時からこのことについては考えていた。
確かに言い訳であってキレイ事なのだ。
だからゴリブさんにズバリと指摘されてぐうの音も出ない。


私は物心付く前から筋金入りの釣りキチである父から手ほどきを受けていて、子供の頃の写真はほとんど竿を手に持っている始末だ。
そういう英才教育を受けてきたから小学校高学年の頃には自分で新たな釣りに手を出したりしていた。
当時はまだ社会的に全く認知されていなかったブラックバスというまだ見ぬ夢の魚に憧れていた。

地元に先見性のある釣具屋があって、海外から輸入した釣り雑誌のブラックバス特集を見せてもらって興奮した。
英語なんか読めないけれど写真だけで十分だった。

当時の私にとってブラックバスは憧れの魚であってとにかく釣ってみたいという気持ちだけがドンドンと肥大化していった。

中学になったころにようやく国内でもブラックバスの情報が流通するようになって、釣具屋にわずかながらルアーが置かれるようになったのもこの頃だった。

少ない情報。アメリカの香り。高額だけど魅力的なルアーの数々……。

少年を夢中にさせるには十分すぎた。


このしばらく後に生まれて初めてブラックバスを釣り上げることになるのだが、その趣味は今でも続いている。




ゲームフィッシングという名のエゴイズム

ブラックバス釣りと言うのはリリースを前提としたゲームフィッシングだ。
言ってみれば人間の「楽しみたい」という欲望のためだけに釣り上げられてまた逃される。

こういう行為に正当性があるのか?という疑問は30年近くゲームフィッシングをやってきたがまだ答えは出ない。
答えは出ていないけれど自分に課しているルールはある。


リリース前提の釣りの場合に用いる針はバーブレス(返しがない)を使う。
これは針による魚体へのダメージを低減させる目的のためだ。釣りの効率としては返しがついていないことでファイト中に魚がバレてしまう可能性は上がる。けれどそれはある程度腕によってどうにかできるし仮に釣り上げられなかったとしてもそれはそれである。


釣り上げた魚を地面に絶対に置かない。(土やアスファルト)
釣り上げた魚の写真を撮ったりすることを否定はしないけれど、地面に置かれてしまった魚のリリース後の生存率は著しく低下する。
魚体のぬめりは人間でいうところの皮膚に当たるが、それが地面にこびりついて剥がれてしまうし、直射日光を浴びた地面なら温度も水中から比べると相当に高い。
こういう状況下で地面に置かれた魚は重度の「やけど」を負うことになる。
皮膚が剥がされやけどを負った魚はリリースされた直後は元気に見えてもその後、様々な感染症に感染したりして予後不良に陥るケースが多い。
釣りをしている足場の状態によっても違うけれど私の場合は釣り上げた魚は極力水から出さずに手早く針を外してリリースしてしまう。抜きあげて地面に置くなんてことは絶対にやらない。
記念写真は撮れないが、ほんの少しだけ罪滅ぼしをしているつもりだ。

趣味であるはずなのに罪の意識に苛まれる

自分はここまで気を使っているからいいだろうとは全く思っていない。
こんなことはただの自己満足でしかない。
本当に魚にダメージを与えたくないのなら釣りをしなければいい。
けれど私の趣味は魚釣りなのだ。

この堂々巡りの輪から30年経っても抜け出せないでいる。
本音を言うとこの自己矛盾に苦しくなって最近はブラックバス釣り自体を避けている。


釣り上げた魚を食べる分には「漁」だったり「狩り」という側面があるからまだ自分を納得させることができる。
けれど食べることを目的にしないゲームフィッシングは、どれだけ魚体へのダメージに気を使っても「命をもてあそぶゲーム」という業(ごう)から逃れられない。

こんな自己矛盾を抱え込んでいるから、楽しそうに弓で魚を撃ち殺すボウフィッシングに怒りを感じて記事にしたのだと思う。

それはきっと同族嫌悪なのだ。
私も同じ穴のムジナでしかない。