ネットの海の渚にて

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羽生結弦選手の怪我を押しての出場は正しい判断だったのか?

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こちらを読ませていただいた。

この記事を要約すると羽生選手本人の意志が最優先されるべきで、本人も自己責任として覚悟しているのだから無関係の外野がヤイヤイ言うなということらしい。
要は自己責任論だ。



この国のスポーツはどちらかと言うと「道」に近い。
柔道や剣道に見られる「道」という概念だ。
心技体の全てを養うのがスポーツだという風潮がある。
むしろ心技体のなかでも「心」が重要視されているところさえある。

高校野球で「チームの為に腕がちぎれても投げぬきます」こういうエースの発言というのは美談として報道されがちだ。
しかも比喩表現なのかとおもいきや、実際に常軌を逸した投球回数を投げさせたりするから、本当に腕がもげるんじゃないかと思うくらいの現実がある。

こういうことに対して最近になってようやく苦言を呈する意見が聞こえてくるようになった。
これはネットが身近になって誰しもが発言出来るようになったのが大きいと思うが、行き過ぎたスポーツ界の行為に待ったをかける声というのが巻き起こるようになった。
昔からこういうスポーツ界の風潮に疑問を感じていた層が声を上げたのだと思う。


今回の羽生選手のケースで言えば試合を強行したことに苦言を呈しているのは、本人の意思云々というよりも、冷静にその場の感情に流されること無く大局的に判断出来る周囲の人間がいなかったのでは?という点だ。

素人目に見ても危険とわかる衝突を起こしたのにもかかわらず、簡単な治療を施しただけで試合に挑ませるのは危険と言わざるを得ない。
競技者本人はアスリートであるし試合直前、しかもハプニングに遭遇しているわけで、冷静な判断ができる状態ではないとするのが当然のはずだ。
そうなると帯同のドクターなどが判断すべき案件なのだと思うが、報道をみるにそういったスタッフはいなかったらしい。
身近なコーチやスタッフは選手本人の情にほだされてしまう可能性が高いわけだから、やはり冷静な判断が出来ないと見た方がいい。

適度な距離を保ち専門的な見地から出場の可否を判断できるスタッフが存在していなかったからそれを問題としているわけで、自己責任論を言いだすのはそもそも議論のステージが違う。



怪我をしていても試合に出場する姿を美化し、美談として語るのは危険であると懸念を呈したのは同じアスリートである為末大氏だ。




スポーツ界にありがちな美談に惑わされること無く、選手本人の健康のためを最優先に考え無くてはいけないはずだ。


網膜剥離を発症したボクサーは試合ができなくなる。
ボクサーとしての命を断たれることになるのだが、選手としての人生よりも遥かに長いこれからの人生のためにそういったルールを定めている。
重篤な怪我を負いかねない格闘技だからこそ、そういった選手を守るルールが決められている。

スケートにはそういったルールが決められていないだろうことが、昨日の一件で露呈した。
練習時間中に選手同士が衝突して怪我をするケースというのは思いのほか多い。
このシステムを変更しなければ昨日の羽生選手のように、危険な衝突事故は今後も起こるだろう。
そうなった場合に症状を客観的に判断して、選手生命を守る為のルールが制定されなければ今後も繰り返されることになる。


スポ魂モノに感動するのはよくわかる。
しかしそれはフィクションの中だけにしなくてはならない。
現実の世界では身体の替えは効かないのだから。

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