読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

あえて「情弱でいる」という選択

コラム

B00LZO9SNA

情報弱者 情報強者

昨日書いた記事で言い足りなかったところがあったので書き足す。

【北の国から】五郎さんに学ぶ情弱のすすめ - ネットの海の渚にて

昨日の記事では北の国からの五郎さんの言葉である「知らん権利」について書いた。
世の中に溢れんばかりに満ちている情報を、手当たり次第に摂取することは本当に良いことなのだろうか?ということだ。

「情報強者」いわゆる情強でいることは、あらゆる面で有利になることが多いだろう。
けれどそれに費やすリソースに対してのリターンがあるのかという部分は、各個人の状況において大きく異る。
情報の最先端で仕事をしている人と、人里離れた過疎の村で一次産業に従事している人にとって、シリコンバレーにおける最新テクノロジーのニュースの価値はまったく違う。


空き時間をスマホに充てている人は多いと思う。
かくいう自分もその一人だ。
暇さえあればスマホをいじっている。
本来自分に必要の無いだろう情報も入ってくるが気にせず情報を漁っている。
情報の漁り方も各個人で千差万別だから一概に言えないが、俺の場合はてなブックマークからやTwitterからが多い。だから本来自分には興味のない情報まで取りに行ってしまうことが多い。
生粋の情強の方々は、もっとスマートに情報をキュレーションしているのだろうと思う。





「情報」と「知識」は似ているが違う

数多ある情報を整理して理解する。
必要な場面においてそれを引き出せる状態にあってはじめてそれは知識になる。
情報が脳内に羅列されているだけでは知識とは呼べない。
整理整頓されて的確にその情報を扱うことが出来る状態になってようやく「知識」と呼べるものになる。
学生時代にしつこいくらい何度も言われたことだ。


一日のうちに仮に100の情報に触れるとする。
その中で「知識」になりうるものはいくつあるのだろうか。
多くの情報に触れてはいるものの、そのほとんどは「消費」だけされて右から左へと流されて終わりだ。
少なくても俺はそうだ。
一日の中にある空き時間を費やして得た「情報」のほとんどは次の日には忘れている。結局それくらいの価値しか無かったのだ。
もちろん中にはとても興味をひかれる情報があったりする。
そこから始まって知識が深まる場合だってある。
でもそれは残念だけれど滅多に起こらない。
純粋に自分の知識を増やしたいならあたりまえだけど系統立てて学問を学ぶのが合理的だ。


なんとなく最新のニュースを追っていると、自分は情報強者のような気がしてくる。
ネット上で起こるイザコザや、流行りの事柄をいち早く駆けつけてツバを付ける行為は確かに情強だろう。
高度に情報化された現代社会において、情強でいることは確かにアドバンテージがある。
けれどそのアドバンテージを得るために費やされる人生のリソースを鑑みると、あえて「情弱」でいることの選択肢もありなのではないか……。と最近特にそう思っている。