ネットの海の渚にて

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映画「白ゆき姫殺人事件」を見たのでレビューや感想など(ネタバレあり)

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映画「白ゆき姫殺人事件」を見た。

なかなか後味の悪い作品で万人におすすめできる内容では無いと感じた。
というのもこの作品の真の主役は井上真央演じる城野美姫ではなく、人間が持っている悪意そのものだからだ。
真剣に鑑賞していると結構あてられるので心が弱っている時にはおすすめできる作品でない。


見えている世界と見えていない世界

いきなりだがポマトという植物をご存知だろうか。
これはポテト(じゃがいも)とトマトを掛け合わした品種で、土の上にはトマトが、土の中にはジャガイモがなるという不思議な植物だ。
味が良くないらしく、ほとんど栽培はされていないので見たことがある人は少ないと思う。


例えばこのポマトを事前の説明もなく見させられたら、目に見える部分にトマトの実が成っているわけだからそれを「トマト」であると認識する。
別室にいるもう一人には土の中から掘り起こしたじゃがいもの部分だけを見せて、遠くにあるあの鉢植えから収穫したと伝えれば、その植物はじゃがいも(ポテト)であると答えるだろう。

現実は「ポマト」という植物なのだが、実際に目にした部分が違うので二人の見解は食い違う。
同じ植物のことを話しているのだが、あたかも別の植物の話をしているように第三者からは見える。

この映画はこんなしかけで話が展開していく。


あらすじ

白ゆき石鹸を販売する会社に務める美人OL三木典子(菜々緒)が、長野の山中にあるキャンプ場「しぐれ谷」において数十箇所を刃物で刺されたあげく焼かれた焼死体で発見された。

ワイドショー番組の契約社員である赤星雄治(綾野剛)の元に大学時代の友人、狩野里沙子(蓮佛美沙子)から連絡が入る。
長野で起こった殺人事件の容疑者に心あたりがあるというタレコミだった。

手柄をたてたかった赤星はそのネタに飛びつき、長野に出向いて関係者に話を聞いて回る。
その様子をカメラに収め、断片的な情報から明らかに「S」が犯人であるという内容の番組作りをする。

その断定的な報道によって勢いづいたネット民たちによって「S」が犯人であるという空気が醸成され、次々と個人情報が暴かれていく。

犯人として疑われている「S」は殺人事件が起こった翌日から所在がつかめない状態。
赤星が関係者に次々とインタビューをしていくのだが、その証言の殆どはやはり「S」が犯人だろうと言う印象をあたえるものばかりだ。

物語の半分を過ぎたあたりでようやく「S」である城野美姫(井上真央)の独白が始まりストーリーは大きく反転を始める。





ネタバレありの感想

いきなり結末を言ってしまうと、一番最初にタレコミを行った狩野里沙子が犯人だ。
狩野はパートナーだった三木典子に事あるごとに辛く当たられていて、ストレスフルの状態にあった。
そんななかちょっとしたことからモノを盗むということを始めてしまう。

モノが無くなり皆が大騒ぎする様子をみることで胸がすっとしたと警察に証言していたように、狩野は盗癖によってストレス解消をしている状態にあったことになる。
この盗み癖を三木に見破られてしまう。
これをバラされたら会社にいられなくなるという不安から、三木を殺してしまおうという短略的な思考に染まってしまう。

狩野里沙子による巧みな情報操作によって殺人事件の犯人に仕立てられてしまったのが「S」である城野美姫だった。

更に恐ろしいのは城野の大学時代の親友が、恣意的な報道によって醸成されてしまった世論に抵抗してみせるのだが、結局はその身勝手な正義感によって「S」の更なる個人情報をネットにリークしてしまうだけでなく、城野のことを殺人犯ではないと断言することすらしない。ただ状況を悪化させただけだった。
さらには両親までもが、我が子が人を殺めてしまったという前提のもとでカメラの前で土下座してしまう。
完全に孤立無援に陥った城野美姫はどれほどの恐怖だっただろうか。
ラストで唯一の味方であった小学校時代の親友と邂逅するシーンがあるがその登場はあまりに遅い。

世論によって自分が殺人犯だと決めつけられてしまった城野美姫は自殺を決意して、ホテルの部屋で自分の半生と事の顛末をメモに記す。
これがストーリー後半の種明かしの部分にあたる。


城野美姫の独白によって赤星がインタビューをしていた内容との齟齬が次々と生じてくる。
全く同じ状況を見ていたはずなのに、人の記憶というのは誠に勝手で、当事者ごとに都合よく改変されているということがわかってくる。
それまでは「S」が犯人で間違いないというところから一転して、さっきまで事実だと思っていたことが実は全く逆の解釈だったことが観客に曝露されていく。


その中から一つエピソードを出せば、男子生徒の蹴った雑巾が城野の頭に乗っかった事件もそうだ。
蹴った当人の認識と雑巾をぶつけられた城野の認識は180度違う。
こういった食い違いの連鎖が「S」を殺人犯と誤認させることになるわけだが、これは実際の社会でも起こり得ることだ。


松本サリン事件というのがある。
オウム真理教による一連のテロ事件なのだが、発生当時は現場近くに住んでいた第一通報者の河野さんが、あたかも犯人であるという報道が連日繰り広げられて、それに引っ張られる形で警察までもが重要参考人としてマークしていた事件史に残る冤罪被害だった。
この映画はこの事件をどうしても思い出してしまう。
松本サリン事件 - Wikipedia


この作品自体がマスコミによる恣意的な報道、そしてそれに踊らされる無責任なネット民を皮肉たっぷりに描いている。
人の悪意というものは恐ろしいもので本当の真実よりも自分に、あるいは世間に都合の良いものを欲する。
特に無責任でいられるネットの世界においてはそれが如実に現れる。
言ってしまえば真実がどうであるというよりも楽しければよいのだ。


結局、自分とは無関係の場所で起きている事件や事故などは所詮他人事でしか無く、実名でやっているFacebookでは「犠牲者に祈りを捧げます」みたいな殊勝な自分を演じておきながら、その一方で2ちゃんねるには「リア充が死んでスッキリした」みたいな悪意をなんのためらいもなく書き込んだりできるのが人間だ。
そういう人間の汚い部分をこの作品は矢継ぎ早に突きつけてくるので、真剣に鑑賞していると心にグサグサくるものがある。

人の持つ悪意みたいなものにあてられて心が弱っている時にはこの作品はおすすめできない。

湊 かなえの原作本↓