ネットの海の渚にて

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不惑の歳になったので「死ぬ準備」について考えた話

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photo by Ayolt de Roos

つい先日、誕生日を迎えてついに不惑の歳になった。
ざっくりと言えば人生の半分を折り返したということになる。

これくらいの歳になると病気だったり健康ってものに興味が出てくる。
同年代の連中と飲んでいても、自然とそういった話題が中心になって辛気臭いったらありゃしない。
この間は墓の話もしてたっけ。


若いころは自分でもびっくりするくらいバカなことをやっていたし、場合によっては死んでいてもおかしくなかったような遊びをしていた時期もある。
この歳まで大きな怪我もせず生きてこられたのは単に運が良かったからに違いない。

どんなことをしてきたかっていうのは、とてもここでは書けないので割愛させてもらうが、もし自分に子供がいて同じようなことをやろうとしていたなら、ぶん殴ってでも止めるようなことだ。


若い頃は自分の寿命のことだったり「死」というものは、どこか無関係な気がしていたけれど、この年令になるとさすがに具体性を帯びてくる。
学生時代の同級生でもすでに何人か死んでしまった者もいる。

去年のことだが、働き盛りでしかも子供が生まれたばかりの知人が仕事中に突然倒れてそれっきり意識が戻らないまま数日後に息を引き取ったのを聞いた時には流石にショックを受けた。

まだ首も座らない乳飲み子を抱きながら葬式の間、気丈に振舞っていたあの嫁さんの思いは如何程だったのか……。


「死」というものをリアルに体感してようやく真面目に考え始めたのがここ最近だ。



死ぬ準備

こういう言葉をどこでだったか忘れたが聞いたことがある。
ずっと心に引っかかっていた言葉だ。


いつの日か俺は死ぬ。
その日のために準備をする。
今風に言うと「死活」だろうか。
これ語呂が悪いから流行らねえなw
っていうか「終活」っていうのか。調べたら出てきたわ。


とりあえず始めようと思っていることがある。
それは「捨てる」ことだ。
断捨離ってわけじゃないけどこんだけ生きてくるとなにやら身の周りに色んなモノが増えてくる。
物理的に存在するモノと、実体は無いけれどシガラミとでも言うようなモノもある。

そういったあらゆる「モノ」を整理して捨てるのだ。
そうしないとあの世への旅路を身軽で挑めなくなる。
あまりに多くのモノを背負っていたら三途の川で溺れてしまう。


まあ三途の川云々は半分冗談だけれど、死んだ後のことよりもこれからの残り半分の人生を身軽に生きてみたいということだ。


友人に職を転々として、しかも住むところも定まらない、現代の寅さんのような男がいる。
その男は3日前に転がり込んでいた女の部屋から追い出されたのだが、その際の荷物の量に驚いた。
ボストンバッグ2個にそいつの全てが入っているのだ。

昔からモノに執着しない奴だとは知っていたけれど、流石にこれだけ流浪の人生を長年続けているとコンマリもビックリの断捨離をナチュラルにやってのけていて改めて驚いた。

コンマリよ。この男の話を聞け。

モノに執着しないから身軽になる。
身軽になるから小回りがきいて住む場所を変えることに抵抗が無くなる。住む場所をフレキシブルに変更できるから新しいことにチャレンジしやすくなる。
職を変えたり、まったく知らない街に引っ越したり、そういった本来なら多大なコストを払わなければいけないようなことを、すんなりとやってのけるのはひとえに身軽だからだ。

そういう生き方に憧れている。
できるかどうかは別としてこれからはモノを手に入れるのではなく、今あるものを吟味して捨てていくことで、長年の人生でこびりついてしまったシガラミを断ち切っていきたい。

そうやって身軽になっていつの日か死にたい。
最近そう思っている。