ネットの海の渚にて

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謎の美少女と色男の話

 

白い手

 

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ボクが22か23才頃の話だ。

当時ボクは家電販売の会社に務めていた。

店頭で接客して商品を配達、取り付け修理も請け負っていた。

ようは自分が売ったお客さんは自分で最期まで面倒を見るスタイルが売りのお店だった。

 

ボクと同じような営業職は5人ほどいて皆と仲良くやっていた。

今では考えられないが当時はノルマもあるような無いような感じで競争させるような空気は全くなく、営業職同士の関係は極めて良好だった。

自分一人では裁けない量の仕事を抱えてしまったときは誰かが何も言わずにその仕事を肩代わりしてくれるのは決して珍しくなかった。

そうやって皆が持ちつ持たれつの間柄だったから何でも言い合える良好な関係で、仕事が時に辛いこともあったけれど常に笑顔で仕事をしていたのを憶えている。

 

 

 

 

そんなある日に新しいバイトが加入することになった。

新人バイトのA君は身長が180センチ以上あって足もスラリと長く、顔は江口洋介を柔らかくしたような美男子だった。

 

夜間の大学に通って昼間は学費を稼ぐためにバイトを掛け持ちしていた。

メインはうちの店だったけれど休業日は知り合いがやっているBARでアルバイトをしていた。

とにかく物覚えが早くて人当たりも良かったのですぐに一端のアルバイトになった。

アルバイトはA君以外に何人も入ってきたけれど彼ほど優秀なアルバイトはいなかった。社長が唯一アルバイトに社員にならないかと口説いたのはA君だけだったから優秀だったのは誰しもが認めていた。

 

仕事は真面目で一生懸命、夜は学業というとなんだか苦学生のイメージが湧くかと思うが実際は違う。

確かにA君はお金は無かったけれどよく遊んでいた。

顔もスタイルも抜群で人当たりもいい彼を女の子が放っておくはずもなく、よく仕事終わりに店の外に女の子が待っている姿を見た。

 

それもちょくちょく変わる。

 

大学生風のおとなしそうな女の子から一見して夜のお仕事をしているお姉さま、まで幅広いラインナップで僕たちはちょっと羨ましい気持ちでそれを見ていた。

 

女にだらしないというのが唯一の欠点と言っていいほどA君は男気もあって非の打ち所が無い男だった。

夜間の大学に行くのは母子家庭で育った彼が母親に負担を掛けたくないという理由だし、そこまで苦労して大学に行くのは国家資格を取ることが目的だった。

もちろんそれも将来母親を楽にさせたいからなのも知っていた。

 

ボクは正直A君を尊敬していた。

遊びも勉強もどちらも目一杯やっているA君が眩しかった。

 

 

ある日の昼休み僕らは休憩室でいつものようにくだらない話をしてゲラゲラ笑っていた。

そんな時誰かが急に「M町のお客さんですっごい美人の子いるの知ってる?」と聞いた。

「M町のK本さんちの娘さんのこと?」誰かが答えた。

僕らは「あー知ってる知ってる。あの肌の真っ白の女の子だ」と言った。

 

職業病のようなもので町の名前とお客さんの苗字がわかればもう大体どの家のことなのかはみんな解る。

営業職の5人は全員それがK本さんの娘さんだと知っていた。

知らなかったのはまだ入ってきて半年のA君だけだった。

皆それぞれその美少女の感想を述べるが謎が深まった。

皆の意見をまとめるとだいたいこうなる。

 

  1. 透き通るくらいの色白
  2. 年の頃は10代後半から20代前半
  3. いつ行ってもお母さんのやや後方から僕らの作業をニコニコしながら見ている
  4. とにかく美少女。それ以外に例えようがない。
  5. ただし彼女と会話を交わしたものはいない

 

 

みんなの共通認識としてはこんなものだ。

それを聞いていたA君は次にK本さんのところへ行くときは必ず自分も連れて行ってくださいと必死にお願いするからみんなで笑った。

 

そんな話をしたことを忘れかけていた頃にK本さんが来店した。

K本さんはいつもお母さん一人で来店される。

その時はエアコンを購入された。話を聞くと娘さんの部屋のエアコンらしい。

伝票を書きながらボクはAくんに「K本さんとこにエアコン付けに行くよ」と言った。

A君はびっくりした顔をしてその後何故か親指を突き上げてウインクした。

 

次の日ボクはA君を連れてK本さん宅へ工事に向かった。

道中、A君はなんだか嬉しそうで「声かけちゃってもいいすか」と言ったりするので返答に困った。

お客さんにナンパ目的で声をかけるなんてとんでもない行為だけれどA君ならその辺りうまくやるような気がして「ダメだ」とはなぜか言えなかった。

結局、肯定も否定もしない内にK本さん宅に到着してしまい作業を始めることになった。

 

 

いつものように娘さんはお母さんの後ろにくっついて僕らに微笑みかけてくれた。

 

エアコンの作業は基本的には一人が主導権を持ってもう一人はそれをサポートすることになる。

ボクとA君のコンビだと当たり前ながらボクが主導権を握ることになるのでA君は工事の際に出るゴミの片づけや作業が進むことで必要がなくなる道具の片付けなどが主な仕事になる。

 

学習机の上部にエアコンを設置することになったので、机の上に養生シートを広げてその上に上がって作業することになる。

エアコン取り付け金具を壁に固定してから配管を通すための穴を開ける。

穴あけの際にゴミやほこりが舞い上がるためそれを処理するのがA君の仕事だ。

ボクとのコンビもかなりの回数こなしていたので、いちいち口頭で指示する必要も無く阿吽の呼吸で作業は続いた。

 

エアコンの内機の取り付けが終われば後は外の作業だけになる。

娘さんの部屋は二階の角部屋だったので室外機は瓦屋根の上に設置することになった。

 

その間、美少女はずっとベッドの上にちょこんと座り僕らの作業を笑顔で眺めていた。

お母さんはいつの間にか階下へ降りたらしい。

ボクはまだ片付けが残っているA君を部屋に残して窓から瓦屋根の上へと這い出た。

 

室外機を瓦屋根にそのまま置くことはできないので屋根置き専用台を設置するのだがこれがなかなか面倒くさい。

それでも設置し終わって最期の作業に移る際、いつもならベストのタイミングでA君が手伝いに来るはずなのだがこの日はなかなか屋根の上に出てこない。

しびれを切らして窓から中を覗くとなんだか妙な光景が広がっていた。

 

A君と美少女は向き合って何か会話しているように見えたが何かがおかしかった。

よく見るとA君は背中を丸めて彼女の差し出したノートに何か書いている。

 

 

筆談だった。

 

 

ボクは声をかけられなかった。

A君は泣いていたからだ。

いや正しくは泣いているように見えたか……。

ボクはしばらくその不思議な光景を見つめていた。

 

ボクの視線を彼女は感じたのだろう。A君の肩をポンポンと叩いて目配せした。

A君はふと我に返ったようにすっくと立ち上がり窓から身を乗り出して作業の手伝いをした。

A君の目は真っ赤だった。

 

二人共、何も言わずただ黙々と作業した。

 

 

 

それから数日、いつも明るいA君がなんだか沈んでいるように見えて、心配した他の社員になにか知っているかと聞かれたりしたけれどボクは何も答えなかった。

ボクだってあの時、おそらく20分程度の短い間に、A君と美少女の間に何があったのかわからない。ただ何かがあったのは確実だった。

 

 

それから数日経ったある日、ベテラン社員からK本さん宅の話を聞いた。

 

僕らが無邪気に美少女だと喜んでいた彼女は、実際にはもう30才近くで10年以上前にとても悲しい出来事があってそれが原因でしゃべることも外へ出ることもできなくなったそうだ。

悲しい出来事の具体的な内容はここでは書かない。書きたくない。

 

 

ボクはこの話を聞いた時A君の丸めた背中を思い出して泣いた。

 

話をしてくれたベテラン社員さんが驚いて背中を擦ってくれるくらいボクは泣いたんだ。

 

 

 

それからA君は仕事が終わって会社を出るとき、時々家とは反対方向へ原付を走らせていることをボクは知っていた。

 

 

その方角には、あの娘の家がある。

 

 

 

A君が苦学してまで取ろうとしていた国家資格は弁護士だ。

 

 

 

白い手 (集英社文庫)

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