年末にブログを書けなくなったことは昨日の記事に書いた。
それと同時にTwitter上でとにかくやさぐれていた。
ネガティブなことばかりつぶやいて多くのフォロワーさんに不快な思いをさせたに違いない。
現にフォロワー数は一割近く減った。
それはそうだろう。
少なくともそれ以前は自虐ではあるにせよ読んでクスっとくることを条件につぶやいていた。
もちろんレベルは低いしスベることも多々あったと思うがそれでも純粋にネガティブな発言はしていなかった。
そんなアカウントが次々とネガティブなツイートばかりつぶやいていたらフォローを外したくなるのはよく分かる。
俺だってそういうつぶやきしかしない奴ならフォローを外す。
まさに自業自得だ。
けれどそんな発言ばかりしていた俺に声をかけてくれる人がいた。
飲めない酒を飲んで吐いているとつぶやけば「飲みすぎないでください」とか自暴自棄になっているツイートを諫めるようなコメントを貰ったこともあった。
そういう優しさに触れて随分と癒やされたのも事実だ。
間違いなく俺はフォロワーさんに救われた。
では逆の立場だったなら俺はどうしただろうか。
いつものツイートからがらっと変わってネガティブなコメントばかり吐くようになったアカウントに対して優しい言葉をかけただろうか。
自分はネット上のコミュニケーションに対して冷めた目で見ていた。
あくまでも上辺での付き合いでしか無く相手のことを本当に願ったコメントなんかは存在しないし、もしあったとしてもそれは巧妙な嘘だと覚悟していた。
顔も名前も知らない関係なのだから心配している振りをしているだけでモニターの向こうではニヤニヤと笑っているかもしれない。
ネットとはそういう殺伐とした場だと思っていた。
もちろんそういう人間もいるがそうではない人もいるとわかった。
俺の為に時間を割いて相談に乗ってくれたり愚痴を聞いてくれる人がいた。
不思議なもので顔も名前も知らないからなのかむしろリアルの友人に言えないようなことまで言うことが出来た。
この不思議な感覚は上手く説明できない。
バーチャルなネットの空間だからこそ本来なら人に言えない「恥部」すらさらけ出してしまうのかもしれない。
確かに今まで職場などで落ち込んでいる姿など他人に見せたことは無い。
弱みを他人に見せることは不利になると考えていたからだ。
人前で恥ずかしげもなく落ち込んでいるアピールをする者を無意識に軽蔑していたとも思う。
俺は自分に厳しく他人にも厳しかった。
凹んでいる後輩に「弱みを見せるな」と叱責したこともある。
自分の悩みは自分で克服するしか無いと信じていた。
なのにネット上で弱みを露呈しネガティブな発言をして廻りに不快な思いをさせた。
今回の事は深く反省しているが自分の考えが変わるきっかけにもなった。
こんな俺のためにありがとうございました。
この世界は案外優しくて捨てたもんじゃない。
- 作者: 村田吉廣,ダライ・ラマ14世
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/03/06
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (4件) を見る