ネットの海の渚にて

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俺にとっての第三の場所はどこにあるのか考えてみた話

いぬじんさん(id:inujin)が提唱した「サードブロガー」という言葉がひとり歩きしてしばらく前に様々な論争を巻き起こした。
古参と呼ばれる方々からは否定的な意見が出され、後からやってきた新参のはてなー達はそれに対して反論をするという構図だ。

俺がブログを始めたのが昨年の11月だからまさに新参者で、この構図に当てはめればサードブロガーになるんだろうが、そもそも俺のブログなんかは、なんの影響力も持ち合わせていないので論争に巻き込まれることなど皆無だった。

だからこの件に口を挟むつもりもなかったし、正直に言えば興味も無かった。
ただ普段から購読しているブロガーさんたちが次々にこの問題に言及していたのである程度は理解していると思いたい。




なぜ今まで避けてきたこの問題を今さら触れるのかといえば自分なりに「第三の場所」ということを考えてみたくなったからだ。


元々いぬじんさんはサードブロガーとはサードプレイス(第三の場所)と定義していたのだが、キャッチーな「サードブロガー」という単語がいぬじんさんの手を離れて様々な意味を内包しつつ巨大化してしまったのだと俺は理解している。
もちろんこれは全ての論争を追って言葉の遷移を確認したわけではないので、あくまでも俺の観測範囲内で得た結果だ。だから俺が誤認している可能性はある。
この件に付いては様々な人が様々な言葉の定義を持っている可能性が高いので同じ「サードブロガー」という言葉を使っても齟齬が生じる。

そういったこともあってこの問題に触れることを禁忌していたが、昨日のいぬじんさんの記事を読んで「第三の場所」について書きたくなった。
第三の場所は、どこにある。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。


俺にとっての第三の場所はどこなのか?

いぬじんさんにとっての第三の場所はブログらしいが俺にとってブログは第三の場所ではない。
いや、これは正確ではない。
ブログを始めた当初は確かに第三の場所だったと思う。
自分の思うことや感じたことを自由気ままに表現できる媒体としてブログは都合が良かったし、リアルとは完全に切り離された空間であらゆるしがらみから開放されて自由を感じることが出来た。

ただそれは最初だけだった。
ブログを書き始めて次第に注目されることで厳しい意見をいただくこともあった。
もちろんその御意見は正しいし間違っていない。辛辣なコメントを読んで反省したこともたくさんあったし、自分では思いつかない視点の意見をもらって目からうろこだったこともある。


ネットの空間にもやっぱり人間関係は存在するし、人間同士だからそこに複雑な感情が絡みあう。
全くもって自分の落ち度だがネットの空間であるのにうっかり相手に深入りしてダメージを追うこともあった。
言葉は悪いがここにもしがらみはあると感じた。

現実世界の面倒なしがらみから逃げる場所としてのブログはいつの間にかリアル同様のしがらみの存在する空間に成り果ててしまった。
はっきり言うとここも息苦しい。


他人の評価が欲しくて文章をブログで公開しているのだから書いた内容の責任は取らなくてはならない。
至極当然の話だ。
イエスマンだけが欲しいなら閉じた空間で仲の良い連中だけで褒めあっていればいい。
公開の場に自分の意見を表明するわけだから反対意見も頂くし、場合によっては理解できない誹謗中傷も受ける。
目立つことで意味不明の個人攻撃も引き寄せてしまう。
そういった面倒な事態を避けたいばかりに当たり障りのない文章になってしまう。


自由気ままに書きたいからブログを始めたのではないのか?
そう自分に問いかけるがそれをやってしまえばそこそこに居心地の良いこの場所が壊れてしまう気がして堂々巡りに陥ってしまう。
結果として箸にも棒にも引っかからない記事を書く。

無意識に「第三の場所」として選んだこの空間は最早俺にとっての「第三の場所」では無くなってしまった。
もちろんこれは誰のせいでもなく俺の性格が招いた結果だ。


ブログを始めたのは実生活においてうまくいかないことが多々あり現実逃避の場所を求めていたのだと思う。
ブログやTwitterではカエルのおっさんとして立ちまわっていたがそれもこの空間に人間関係が出来始めてしまうと、いつの間にかカエルの仮面を外してしまい生身の俺が出てきてしまった。
そうなってしまえば実生活と大差ない。
現実逃避の場所が現実に取って代わった。
しがらみもなく自由気ままに自分を表現出来る場所としてはもう終わってしまった気がする。
居心地が良いからと、この場に長く留まりすぎたのかもしれない。


ならば俺にとっての第三の場所はどこなのか?
考えているが答えはまだ見つからない。

自由になりたいと思いませんか。

自由になりたいと思いませんか。