ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

ネガティブ思考に取り憑かれている話

ブログを再開して数日が経った。
本来はもっと心が平静になってからと思っていたが半ば強引に再開を決心した。
ブログを再開すれば何かが変わる気がしたからだ。けれど何も変わらない。
正直に言って筆がのらない。
文章を書くのが苦痛でもある。
もとより大した内容を掲げているブログではないものの多少なりともユーモアを交えた文章を書くことが励みになっていたし、それを喜んでくれる読者がいることが何よりのモチベーションだった。




だからこそ昔のような文章を書きたいが未だにネガティブな感情に支配されているためか文章もネガティブになってしまう。
自分で書いた記事を読み返してさらにネガティブが悪化して結局記事をボツにするという堂々巡りの中にいる。


なぜブログを書くのか?
最初はなんとなく書いてみたいという気持ちが沸き上がって勢いだけでブログを開設した。そこに大した意味は無かった。
けれど今になって振り返るとなるべくしてそうなったと思う。

人生の中でいつの間にか溜まっていった澱もような物を吐き出したいと思ったに違いない。
だからといってどす黒く固まった腐臭すら漂いかねないそれを公開の場に垂れ流すわけにはいかない。
さすがにそれくらいの常識は持ち合わせている。
だからある程度体裁を整えた文章を書くのだが当初の目的である心の澱は排出されていない。

下手にPVが増えてしまった現在、そんなものを吐き出してしまったらこのブログは終わってしまうだろう。
結局ここでも人の目を気にしながら遠慮している。


人間は孤独では生きられない。
誰かの言葉だが受け取り方は千差万別だろう。
「一人」と「独り」が微妙に違うように「孤独」の意味も個人間で微妙に違う。
社会システムとしてはたった一人で生きていくのは不可能だ。
相互扶助のシステムが張り巡らされている以上、常に誰かの世話になっている。
そういった意味では「孤独では生きられない」は正解である。

では孤独に生きるとはなんなのか。
人との関わりを全てとは言わないが最低限に押さえ、不安や苦痛や喜びさえも人と共有しない状態。
全ての事柄を他人と共有しない決心さえすれば全てのしがらみから開放される気がする。

ならば、今現在の人間関係を全て断ち切れるのかと自問自答する。
既にそのしがらみは俺を雁字搦めに縛っている。


時折、俺のことを誰も知らないどこか遠くの町に行って全てゼロからやり直してみたくなることがある。
その妄想を実現しようと画策したこともあった。
実行しなかったのは俺が弱い人間だからだ。
現在の環境に満足していないくせに安寧している自己矛盾。

幸いなことにこのネット空間はリセットが可能だ。
アカウントを抹消してしまえば全てが終わる。

逃げる男

逃げる男