ネットの海の渚にて

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ようやく ダンサー・イン・ザ・ダーク を見たので感想など【レビュー】

ダンサー・イン・ザ・ダーク 監督:ラース・フォン・トリアー 2000年

私は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画をずっと避けてきた。
決してバッドエンドな映画が嫌いというわけではなくて、どちらかと言えば好きな方だから、本来ならもっと早くに見るべきだったんだろうと思うけれど、結果的に避けてきた。

それはこの映画が非常によく出来ているということを知っていたからだ。
見ると鬱になるような映画は、その出来が良ければ良いほど攻撃力が高いので、自分の心がある程度健康を保っている時でないと本当に危ない。
基本的に映画は娯楽であって、余暇の時間に楽しむものなので、実際の生活に影響が出ては困るのだ。
だから今まで避けてきたのだが、このゴールデンウィーク中に消化してしまおうと決意して見始めたのだが、ちょうど半分あたりであまりにキツくなってきたので一旦止めた。
結局最後まで見たのだけれど、辛くなって途中で止めた映画は記憶に無い。

あらすじ

60年代のアメリカの田舎が舞台。
チェコから移民してきた主人公セルマは12歳の息子を抱えた貧しいシングルマザー。
先天的に目に障害を持ったセルマは日に日に視力がなくなっていく恐怖に耐えながらも、息子と平穏に暮らすために工場で働いている。
その工場で出会ったキャシーや、セルマに好意を抱いている優しいジェフ。
そういった友人にも恵まれて貧しいながらも慎ましく生活していたのだが、親子で住んでいるトレーラーハウスの大家であるビルにある秘密を打ち明けたところから悲劇は始まってしまう。
注:ここより下、ネタバレあり





感想 ネタバレあり

おそらくこの映画は見た人の性別だったり属性によって相当違う印象を得るだろうと思う。
まずセルマの行動原理についても、母の愛として共感できる人もいれば、自己愛の暴走と見る人もいる。
子どもを守るための選択だったと納得できる人もいれば、あれは形を変えた育児放棄だと思う人もいるだろう。
それほどまでにセルマの行動には解釈の余地がある。


セルマの考え方や行動はおしなべて幼く稚拙だ。
彼女の行動は盲目的に子どもを守るという母性の現れとして見ることも可能ではあるが、それにしてはあまりに幼稚すぎるのだ。


純粋無垢で穢れ無きセルマは現世に蘇った聖母マリアをイメージさせる。
セルマはシングルマザーなのだが劇中でその父親は一切出てこないしまったく触れられない。
それはまるで処女懐胎したマリアのように純粋無垢であるセルマのイメージに一役買っている。


この映画の中で彼女が歌う唄の中に「馬鹿なセルマ」という歌詞がある。
自分で自分を馬鹿だと歌う彼女は、それこそ善悪というものを凌駕した絶対的な「innocence」であるということを意味している。

この純粋無垢さを罪と見るかで観客の彼女に対する感情が変わる。
本当に我が子を守るためなら、もう少しやりようがあったはずなのだが、結局セルマは悲劇的な末路を選んでしまう。
この選択は本当に子どものことを思ってなのか、それとも穿った見方をすればイエスが磔になったように、セルマも自身を犠牲にするという、ある種の歪んだ美学というか自己愛の暴走なのではないかとも思える。


そしてもう一つ解釈が別れると思うのはラストシーンだ。
ラスト間際で絞首台にいるセルマに、キャシーが息子ジーンのかけていたメガネを手渡してくれるシーンが有る。

ここはキャシーの台詞の通りであれば息子の手術は成功したとなるわけだが、私はそう思わなかった。
なぜならキャシーがメガネを渡すのはセルマが最期に及んで喚き散らし、刑の執行を妨げた後だからだ。
もしあのときセルマが取り乱さなければメガネを渡すタイミングはそもそも存在しない。

つまりあれは、最期の時を迎えるにあたって醜態を晒し続けるセルマに対して、キャシーがやってあげることのできる最期の思いやりとしての嘘なのではなかったか?
あのメガネをキャシーが持っていたのは、必ずしも息子の手術が成功したからではなくて、手術が失敗、あるいは手術費用の金を没収されて手術そのものが受けられずに失明してしまったからメガネが必要なくなったとも考えられる。

息子の目を治すことだけを願って死刑を受け入れた母親に、終の間で必ずしも真実を伝える必要は無い。
彼女が少しでも幸せに旅立てるようにキャシーがとっさに嘘をついたとしてもおかしくはない。


これはあくまでも私の解釈だし、これだとあまりにも救いが無さすぎる。
せめて息子のジーンだけには幸せになってもらいたいのだが、ここまで救いがないどん底の悲劇として描いてきたラース・フォン・トリアー監督が一番の主題である息子を幸せにするだろうか?とも思う。

ただこのラストシーンについては見たもの皆が、それぞれ異なる解釈で構わないと思う。
名作と呼ばれる作品のほとんどは、想像の余地を残すものだからだ。


この映画は鬱映画の代名詞のような評価を受けている。
確かに見た後に爽快感が残る映画ではない。
むしろ苦い砂を噛んでしまったような不快感すらある。

じゃあこの映画は人に勧められない作品だったのかと問われたらそれは違う。
間違いなく後世に残る名作の一つであることは断言できる。
ただし万人にすすめられるかというとそれも違う。

やはり相当キツイ作品であることは間違いないので、心身共に健康なときに見てもらいたい。
そして自分がセルマだったらどうしただろうかという思考の迷宮に陥るのも一興である。

この作品はHuluで見ました。(Huluは作品の入れ替わりがあるので常にダンサー・イン・ザ・ダークが見られるとは限りませんのでご注意ください)
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