ネットの海の渚にて

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ブラック企業に勤めていたら心身ともに壊れた話

これ読んだ。asimino.hatenablog.com

わかる。というかわかりすぎて、過去のつらい記憶が蘇って涙が出た。
しゅなさんはプログラマーなので、私とは職種が違うけれど、月に100時間残業のような苦しい状況みたいなものはよくわかる。


20代後半に、ある販売の仕事をしていて、小さいながらもそのお店の店長をやっていたことがある。

10時開店で閉店が23時だった。
その開店から閉店までずっと拘束されるわけだ。
社員は自分一人で残りの4人はアルバイト。
最大5人で店を回すのだけどそれはチラシなどを入れた時だけで通常は3人体制だった。
アルバイトは全員が大学生だったから、平日は夕方からしか来てくれない。
日中は私一人で店を回すという状態だった。

平日の昼間は確かに閑散としていてほとんど来客は無いからとりあえずお店は回るのだけれど、簡単な話、おしっこに行くのも大変なのだ。

トイレは店の外にそのビルのテナント用の総合トイレがあるだけだから、トイレに行くということは僅かな時間とはいえ店が無人になってしまうことになる。

なので、エリアマネージャーが監視を兼ねた様子見をほぼ毎日しに来るので、そのタイミングでそいつに店を押し付けてトイレに駆け込むみたいなことが多々あった。

夕方の5時を過ぎるとようやく大学生のバイトが出勤してくる。
店が忙しくなるのはだいたい7時過ぎくらいからだったから、アルバイトが来てくれたタイミングで遅い昼食をようやく食べるということになる。

歩いて3分の場所に餃子の王将とCoCo壱番屋があったので、その2店のどちらかで毎日食べていた。
私が食事のために店を空けている間に何かあった場合に困るから、とにかく早食いでかき込むという毎日だった。






開店時間は10時だけれど、その前に開店準備があるので店に入るのは午前9時だ。
閉店時間が23時でもその後のレジ締めや閉店処理があるので、どれだけ頑張っても店を出るのが0時を超える。
しかもその後、売上金を持って本社に戻る。
本社にある金庫に売上金を預けたあとに、翌日店にもっていかなければならない品物を車に積む。

出勤にマイカーを使わされていて、なおかつ現金の輸送と商品の保管(翌日まで)をなんの躊躇もなく社員にやらせる、今考えるとひどい会社だった。
大きなダンボール5箱分位をマイカーの後ろに乗せて、家に帰ったらその荷物を一旦玄関まで運んで、翌朝また車に積み込んで出勤というのを、最初は真面目にやっていたけれど、いい加減面倒になって、車に積みっぱなしのまま「どうにでもなれ」という気持ちでいた。
合計で何十万円という商品が車の荷室にあったわけだが、本当にどうなってもいいと思っていた。
むしろ車上荒らしにでもあって盗まれたりすれば、クビになれるのではないかとすら思っていた節がある。


そもそも私が勤めていた店は隣の市で家から片道40㎞の距離があった。
どれだけ通勤路を最適化しても一時間はかかる。
東名高速で事故など起ころうものなら、下道に車が溢れて渋滞が発生する。
そうなったら逃げようがないので、職場まで2時間以上かかってしまうこともあった。
当然、開店時間に間に合わないから始末書を書かされることになる。


最低でも朝8時には家を出て、帰りは本社に寄って諸々こなした後なので、家につくのは午前1時過ぎになってしまう。
そこから夕飯を食って、風呂に入って布団に入るが、気が付けばもう出勤時間みたいな毎日だった。
仕事で脳みそがワーキングハイの状態になっているから、家に帰って風呂と飯の時間だけでは脳のクールダウンが間に合わない。
その状態で無理に寝ようとしたって寝れるわけがない。
ちなみに休日は月に6日だ。祝日の振替みたいなものはない。

休みの日は基本的に寝て終わるのだが、窓の外が薄明るい状態で目を覚まして時計を見ても、針が指している「6時」が朝なのか夕方なのかがわからないということが多々あった。
普通、寝て起きた際に長く寝たのか1~2時間しか寝ていないのかというのは感覚的にわかるはずなのだが、当時は2時間寝たのか12時間寝たのか自分では判断がつかない状態だった。


こんな状態が続いて、あまりにも辛すぎたので本社で世話になっていた上司に泣きついたが「お前の要領が悪い。俺がやってた時はもっと早く帰れたぞ」と言われた。

店長という肩書だったから残業代は出ない。
完全固定給で査定が反映されるのはボーナスだから期待しろと言われた。


私の勤務していた店は、前店長がいきなり失踪したとアルバイトから聞いた。
なるほど、だから異業種出身の私をいきなり店長にしたのだなと、その時わかった。

こんな業務を続けていて体が持つわけがない。
私は半年で壊れた。


今までに数回職を変えているが、そのどこもブラック的な要素というのは若干はある。
けれどここまで見事に全てがブラックだったのはこの会社だけだった。
たった半年の出来事なのだが、おそらく一生引きずる傷になった。