ネットの海の渚にて

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部下に「できるかできないか」を断言させるのは管理職の怠慢だと思う

こちら読ませてもらった。
blog.asimino.com

おそらくこれを書いたあしみのさんは「失敗を恐れずに己の責任感を育てるためにもあえて『できます』と断言して自分を追い込め」みたいな意味で言っているのだろうと理解した。

予断を持つようなことばかりしているとやがて自分に甘い人間になってしまう。だからできるかできないかに関わらず「できる」と断言できるような社員に育って欲しいというイメージなんだろうと思う。



私も十数年前の若い頃に、あしみのさんのような上司のもとで働いていたことがある。
「これとこれ。○○日までにできるか?」
だいたいこうやって聞かれる。
この時の職場はとにかく不確定要素が多くて、とてもじゃないが数日単位にまたがるような業務だと仕上がり日の約束なんてできなかった。なので「全力でがんばります!」といつも答えていた。

それは冒頭の記事の上司のように「できると思います」と答えたら「思いますとはなんだ。できるかできないかで言え」と怒られたのでそれ以降問われる度に「がんばります」と答えるようになった。
もちろんそんなことを言っても上司は納得するわけが無くて「がんばるのは当たり前だ。やれるかやれないか言え」と詰めてくるので「全力で頑張りますが確約できません」と私もそこから一歩も引かなかった。






当時の職場はその上司から仕事を振られても、さらに上の上司から急な仕事を飛び込みで放り込まれたりするのが珍しくなかったので、どれだけ優秀な人間でも物理的、時間的に不可能になることが頻繁にあった。
そんな状況下にあることはその上司だって理解していたのになんで理不尽な問答を部下にしてくるのかというと、それは単純に自分の責任を部下に丸投げしたいからに過ぎない。

これはやがて自分がその立場になってみるとわかるのだが、部下に仕事を割り振るというのは管理職として重大かつメインの仕事と言ってもいい。
部下の実力や混雑具合。そういった諸々の状況を俯瞰して把握し、正しい量の仕事を案分するのはかなり大変だ。
事態は刻一刻と変化するので毎回通用するような方程式みたいなものも存在しない。
でもこれこそが管理職たる所以なので面倒でもやらなければいけないのだが、この案分における心的負担を部下になすりつける方法がある。
それが「できるかできないか断言しろ」メソッドである。


良く言えば部下の責任感を育てるためみたいな言い換えもできる。
でも実際は面倒でストレスのかかる「仕事の配分」という重要な業務を、部下の能力問題にすり替えることで「できなかったのはお前が悪い」と責任転嫁してしまえば配分に失敗した自分の采配ミスを省みなくて済む。

部下に配分した仕事が当初の予測より遅延したりするのは按分した上司である自分の見る目が無かった証拠なのだが、実際はそういう失敗は日々たくさんある。
だからこそ毎回自分が悪かったと反省しているとストレスばかりが溜まるので「できなかったのは部下が悪い」と失敗の原因を移譲したくなってくる。
そのときに便利なのが部下に「できるかできないか」を断言させることなのだ。


やれるといったのにやれなかったのは部下の努力が足りなかったからで自分は悪く無い。
仮に「できません」と言ったなら「やりもしないうちにできないとは何だ」とでも言えばどっちにしろ「やる」と言わせることができる。
この追い込みの仕方は上司である自分の責任をごまかすためでしかなくて決して部下の成長を促すことにはならない。
むしろ「無能な上司」として恨まれることになりかねない。


この「できるかできないか断言しろ」メソッドは使ってみると大変便利なのだ。
中間管理職というのは大変ストレスが溜まる。
上からは「アレやれコレやれ売上上げろ残業させるな」みたいなことを毎日言われる。
部下からは「こんなに業務があるのに人は足りないし残業するなとはどういうことですか」などと突き上げられる。
ずっと板挟みになっているからストレスが大変なことになる。
だから自分を守るためにこんなメソッドにたどり着いてしまうのも理解できなくもない。
部下に対して仕事の責任感を持てというならば、中間管理職にある自分に対してもその役割を正しくこなすために厳しく律しなければならない。

世の管理職の皆さん。毎日大変ですが安易に低きに流れるようなことをせず、部下のための防波堤になれるよう頑張っていきましょう。