ネットの海の渚にて

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【北の国から】五郎さんに学ぶ情弱のすすめ

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名作ドラマ「北の国から」の劇中で田中邦衛演じる黒板五郎が、通称石の家と呼ばれる電気も通っていない家に遊びに来たシュウちゃん(宮沢りえ)に「テレビが無いの?」と言われるシーンがある。
さらにシュウちゃんは五郎さんに「じゃあ今の総理大臣はだあれ?」とちょっと意地悪な質問をする。

五郎さんは二代か三代前の総理大臣の名前を答えるのだが、それを聞いたシュウちゃんがいたずらな笑みを浮かべるから「また変わったんかい?」と五郎さんは戸惑う。


このシーンでシュウちゃんが「じゃあいろいろな情報はどうやって仕入れてるの?」と問うのだが五郎さんは本当に必要な情報は自然と入ってくるもんだと言った。


確かに五郎さんは人里離れた家に一人で住んで、テレビも新聞も無い生活を送っている。
けれど仙人のように人間関係を断絶して生活しているわけではないから、本当に重要な事柄は人伝に入ってくるのだ。
街に住む人の手伝いなどで僅かな収入を得ているから、それなりにうわさ話も入ってくる。
わざわざ自分から情報を取りに行く必然性が五郎さんには無い。

そのことを五郎さんは「知らん権利」と言った。
それを聞いたシュウちゃんは改めて五郎さんのシンプルな生き方に共感するのであった。


このシーンがあるのは「'95秘密」だから丁度20年前の作品になる。

20年が経った現在はスマホ全盛時代になって誰彼もが情報の洪水に溺れてしまう可能性がある。
暇さえあれえばスマホをいじって情報に接する。
そうしないと不安になる。
まさにネット中毒であって情報中毒だ。



生きる上で必要な情報というのは本来恐ろしく少ないはずだ。
けれど高度情報化社会になってしまったことで身の回りは情報に満ち満ちている。
どこに目を向けても情報が入ってくる。
これだけ多くの情報に囲まれて果たしてそれは自分の生活を豊かにしているのだろうか?
最近そんなことを感じることが多々ある。

目に入れる必要のなかった情報を目にしてしまってストレスを感じたり、知らなかったほうが良かったことを知ってしまったがうえにショックを受けたり……。
そんなことを繰り返して無駄に消耗している自分がいる。


情報感度が高くてあらゆる方向にアンテナが向いている人のことを「情強」と言うのだろう。
「情弱」とはまさにその逆のことを言う。
けれど「情強」でいることはそんなに良いことだろうかとも思う。
自分が処理できる情報の量は限りがある。
世の中には際限なく情報が満ちているから終わりがない。
どこまで情報を取りに行けばいいのかわからなくなる。
自分はもしかしたら取り残されているのではないかと不安になる。
そうやって本来必要では無かったはずの情報まで摂取することで疲弊する。


20年前に五郎さんが言った「知らん権利」は、今の時代だからこそ真剣に考えなくてはいけない気がする。
「情弱」とは決してネガティブなことでは無いのかもしれない。

続き書きました

あえて「情弱でいる」という選択 - ネットの海の渚にて