ミニマリストっていうのは簡素清貧ってことでいいかな?
最近、なぜだが自分の観測範囲の中にミニマリストという単語を頻繁に見かけるようになった。
リアルの生活だと誰かの口からミニマリストなんて言葉を一度たりとも聞いたことは無いのだけれどネットの中ではよく見かける。
気になったから「ミニマリスト」を検索してみたんだけど、どうもしっくりくる答えが見つからなかった。
だから個人的偏見に満ち満ちた視点からミニマリストとはなんぞやを語ってみたいと思う。
この記事を読んだ。
イグアナさんにほぼ同意と言ったところだ。
だけど俺はイグアナさんとは違いミニマリストという言葉にあまりいいイメージを持っていない。というかこの手の自己啓発っぽいものが心底苦手だ。
その辺りのことを書きたいと思う。
もともとこの国にはモノを持たずに身軽に生きるという思想があった。
質素に生きることや慎ましやかに生きることを美徳とする文化的ベースがある。
金持ちが欲にまみれた生活をしていると、それに対して眉をひそめるという文化もある。
だから例え金持ちだとしても、それをひけらかすようなことをすると、嫌われたり陰口を言われるようになる。
金持ちだから威張ってよいとはならないし、むしろそういうやつは「野暮」とされる。
「野暮」の対義語は「粋」なのだが「粋な」金の使い方というのは一朝一夕では身につかない。
だから野暮ったい金の使い方をしていると「あいつは所詮成金だから」と蔑まれたりする。
おそらくミニマリストというのはこの「成金」の真逆に位置している。
ミニマリストっていう言葉はいったい何を指しているのか?
ミニマリストで検索してもこれといった定義を示しているものが見つからない。
いや、書いてあるものもあるのだが人によって定義がバラバラ過ぎてよくわからない。
これは俺の検索能力が低いせいかもしれないが、ちゃちゃっと調べた結果、モノを持たないシンプルな生活のことをミニマリストと言うらしい。それぐらいしか共通点が見い出せなかった。
モノを持たないということは物欲を否定することだ。
モノを買わないということは消費を否定することにも繋がる。
もちろん必要最低限のモノは買うのだろうが、何を買って何を買わないのかそれをどういう基準で決めているのかが、ミニマリストを自称している人たちによって違いすぎてよくわからない。
ある人はミニマリストを自称しておきながら俺より遥かに良い靴を買っているし、万年筆も買っている。
俺は万年筆なんか昔にもらったものが一本あるだけだし、靴なんかいつ買ったか忘れた。
好きなものは購入するがそれ以外は買わないことをミニマリストというのなら、俺だってミニマリストになってしまう。
いらないものを買うような変わり者はあんまりいないんじゃないか?
買った後に「やっぱりこれはいらなかった」となることはあっても、買う時点では欲しいと思ったから財布の口を開けるわけで、最初から無駄なモノを買うようなバカはおそらくいない。
ミニマリストという言葉に違和感を覚えるのは、その定義が曖昧なままいろんな方面で目にするからだと思う。
似たような言葉に断捨離やロハス、スローライフなんかがある。
こういった新しい言葉は実のところ元々あった言葉の置き換えにすぎない。
新しい言葉を作って新しい価値観を生み出す。そこから新しい商業的価値を生み出す。
電通なり博報堂が今まで腐るほど繰り返してきた手法なんだがミニマリストもこの系譜なんだろう。
商業的価値を否定するような思想でありながら商業的価値を与えられてしまうという矛盾。
質素倹約
こんな言葉がある。
贅沢をせず、地味でも慎ましやかに生きるという意味だ。
今風に言えばシンプルライフだろうか。
こんなことはこの国で昔から言われていることで、今更横文字に変えて啓蒙されるようなものではない。
簡素清貧
貧しいながらも簡素に心清らかにという意味だ。
これなんかはまさにミニマリストのことだろう。
こういう言葉が元々あるのにあえて新しい言葉を作ったのか探して来たのか分からないけれど、さも新しい価値観ですよと意識高い系の奴らが喧伝してウブな若者が引っかかってしまうのだろうと思う。
バブルが弾けて20年。
結局この国はそこから立て直すことが出来ないまま時は過ぎてしまった。
団塊の世代はリタイアする年代になって、凄まじい額の借金は次の世代に押し付けられた。
今の若い世代はバブルの甘い汁は一切味わうこと無くその尻拭いだけを押し付けられている可哀想な世代だ。(俺も含まれているが……)
就活で地獄を見て将来に悲観して今を生きるのに必死。
親からの仕送りも激減している昨今で、昔のようにバイトに没頭出来るほど大学も牧歌的ではなくなっている。
そうなると金銭的に苦しくなるわけで必然的に金の使い道が限定されることになる。
しかもスマホをはじめとした各種通信料は、もはやライフラインの如く金銭的負担になっているのは想像に難くない。
欲しい物があったとしてもそれを我慢するのが当たり前になってきている世代と言ってもいい。
不景気の煽りを受けてもともとお金のない若者が、モノを持てない潜在的な不満感をミニマリストという思想によって代替するのも無理は無い気がする。
身も蓋もない書き方をすれば【欲しいものが買えない→モノを持たない身軽な生活】とすり替えているにすぎない。
貧乏が故に欲しいものが買えない苦しさを、ミニマリストという言葉で慰めているように見える。
金持ちが下品な金の使い方をすると「成金」と揶揄されるように、貧乏なのをミニマリストという言葉で覆い隠すのもなんだかモヤモヤする。
お金を持っているがミニマリストをやっているという人がいることも理解しているけれど、やはりそれは例外で多くの人は貧乏になったんだと思う。
みんながお金を持っていたバブルの頃はそれこそ消費バンザイだった。
二十歳そこそこの若者がスポーツカーを買い、女の子はブランド物を買いに海外旅行に行っていた。
バイトでも時給が1500円以上とかザラにあったし、そもそも大人が金を持っていたから金がぐるぐる回っていた。
好景気では消費が推奨され、今のような不景気では倹約が奨励される。
当たり前といえば当たり前なんだけど、このままだと景気なんて上向きになんかなりっこない。
先行き不安な社会だから個人防衛として消費を抑えて貯蓄に回すのはよく分かるんだけどね。
バブル世代の放蕩な金の使い方やモノの持ち方なんかを見て育った世代が、そのカウンターとしてのミニマリストなのかなとか考えてみたけどどうもよくわからない。
一部で流行りだしてるらしいミニマリストっていうのはいったいどこに向かって行く気なんだろう。
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