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ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

高齢ドライバーが事故を起こしているけれど車が無いと生活できない高齢者もいるということ

最近、高齢者ドライバーの暴走事故のニュースを連日目にする。

この手の事故が多発するというのは、大分前から予測されていて、なるようになったというところだろうと思う。
今後は人口のボリュームゾーンである団塊の世代が高齢者になるので、同様の事故が加速度的に増えていくのは想像に難くない。


高齢者が危険な運転をして事故を起こすと必ず出てくる対策案が、免許の自主返納の促進、もしくは年齢で区切って強制的に取り上げろということだ。

確かに免許を取り上げるのが1番手っ取り早いし、この問題に対する特効薬だろうというのはよくわかる。
よくわかるのだが、それはまさに弱者の切り捨てになってはいないだろうかとも考える。






我が家の本家は市内から車で2時間かかる奥深い山中の集落にある。
林業を生業としてそれなりに栄えた村だったが、凡百有る過疎の村と同じでいわゆる限界集落という状態になっている。

本家には父の兄である長兄夫婦が2人で住んでいて、二人いる息子はそれぞれ山を降り、市内に居を構えている。

本家に住む伯父はもう70台の後半でもちろん伯母も同じような年齢だ。
伯母は先日まで入院していて、今は月に2回通院している。
伯父も持病があるので月に1回は街に降りてくる必要がある。
なにせ、村には診療所すら無いのだから、病院に行くということは車で二時間の道のりを降りてこなければならない。

10年ほど前まではその村までバスが通っていた。
その頃から赤字路線で市から補助金があってどうにか維持しているような状態だったのだが、それも廃線になってしまって久しい。

つまり本家がある村には公共交通機関は存在しないことになる。


50代の人間が「若い衆」と呼ばれてしまう超高齢化の村だから、老老介護が当たり前の状態になっている。もちろん街に住む息子や娘が時折訪れたりすることもあるのだが全てをカバーできるわけではない。
通院や日用品の買い出しに行くためにどうしても車が必需品という現状がある。

70台後半の伯父はなんだかんだで月に4回は街に降りてくる。
片道2時間の山道を自分で運転して降りてくるのだから心配で仕方ないのだが、それを全て街に住む親類が肩代わりできるかというとそれも難しい。

いつも矍鑠としていた伯父だが、さすがにここ一二年運転が億劫になってきているらしい。
自分は後何年運転できるかということを言うようになった。

私の父は伯父より年下なのに2年ほど前に車を手放してしまった。
それはまさに自分の運転が危ないという自覚があったからだ。
人を跳ねてしまう寸前の事故を起こしそうになったのがきっかけだった。

父も病院に通っているが、街に住んでいるから歩いて行ける距離にある。
趣味の釣りだって自転車で行ける。
車を手放してもとりあえず困らないからあっさり捨てたのだと思う。
けれど伯父は違う。
村の中だけでは生活ができない。


その村には以前まで小さな個人商店が食料品を扱っていたけれど、その店も高齢化で閉店してしまった。
だからその村は週に2回車でやってくる移動販売に頼っている現状だ。
しかもその移動販売をやっているおじさんももうすぐ70才とのこと。


こういう限界集落はおそらく日本中の各地にある。
高齢ドライバーが事故を起こすのは今後間違いなく増える。
確かに高齢者から免許を取り上げれば事故は無くなる。
けれど車が無いと生活が成り立たない高齢者をどうフォローしていくかという部分も考えていかないと、問題を解決するために弱者を切り捨てただけということになってしまう。