ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

旅に出たくらいで人生観って変わるものなの?

こちらを読ませていただいたらちょっと書きたくなったので書く。

私は旅が人を変えると信じている。

でも『旅だけ』が人の心を変えるわけではない、とも思う。
違う物を、知らない物を受け入れるしなやかさが、人の心を変えるのかもしれない。

はあちゅうさん自身は何も変わらなかったかもしれない。

でも旅で変わったと思うことが薄っぺらいだなんて、沢木耕太郎に、中村安希さんに、胸を張って言えるのだろうか?

何より、自分の本を読んで旅を夢見た読者を、傷つける言葉だとは思わなかったのだろうか?
はあちゅうさんの言葉と、ブログで反論を書く意味 - おのにち

大元のはあちゅう氏の記事では人生観について言及しているので、今回は旅に出て人生観が変わるのか?ということについて考えてみたい。

いきなり結論から書いてしまうが、旅に出たくらいで変わってしまうような人生観なんてやはり薄っぺらいものだったんだろうと思う。


旅に出て自分の知らなかった世界を見ればそりゃ影響を受ける。
特に若いうちならなおのことだ。

例えば18歳。高校を卒業して大学に入るまでの束の間の期間に海外に行って見たことも聞いたこともない「リアルの世界」をその目で見たら何かしらの影響を受ける。
むしろ若い頃の旅というのは知らないものに触れて感化されること自体が、目的みたいなところさえある。






少し前、インドに行くことが流行ったことがある。
そしてインドに行った若者が口をそろえて言ったのが「人生観が変わった」である。

ここに齟齬がある。

旅に出てあらゆる影響を受けるのは当然なのだが「人生観」までもが180度変わってしまったみたいなことを聞かされると、そんな程度の人生観だったんだなと思ってしまう。
ガンジス川のほとりで赤子が産湯を浴びている横で火葬にされている死体。生と死がものすごく近い距離にある場所。
そういった絶対に日本では見られない光景を目の当たりにしたら大きなショックを受けるのは必然だ。
だからといってそんなに簡単に人生観って変わるものなのだろうか。

人生に対する見方。人生の目標・意味・価値などについての全体的、統一的な見方で、人生とは何か、人生いかに生きるべきかについて、具体的、実践的な記述・指針を含む
じんせいかん【人生観】の意味 - goo国語辞書

この人生観というものをどう受け止めているかによって違うのだと思う。

私にとっての人生観とは、まさに生きる指針であって世の物事の善悪を図るモノサシであり、人生に迷った際の自分自身の拠り所でもある。
つまり自分の人生の「軸」であり言い換えれば私の生き様そのものだとも言える。


本を読んだり、映画を見たり、旅に出たりすると様々な影響を受けるし、そもそも生きているだけであらゆる影響を受ける。
それは良いこと悪いこと全てにおいてだ。

自分の中に存在する観念とは人生を重ねていくと気づかぬうちに段々と積もっていく澱のようなもので、それを根底から覆そうと思ったら簡単なことじゃない。
それこそプロが行う「洗脳」レベルの介入がないとそう簡単には人生観は180度変わらないと思っている。

いや、厳密に言うと日々わずかながら変化しているのだがその変化は自分でも気が付かないレベルでしか無い。
10年単位で振り返ってみれば変化したのがわかるような、そんな微細な変化だろうと思う。


旅に出てカルチャーショックを受けたことで影響を受けるのはわかるのだが、それだけのことで人生観が180度変わってしまうなんて言い出すやつはそもそも「人生観」という言葉のもつ意味を真剣に考えていない。

旅に出てみたら「知らないことだらけで俺超ビビったわー。世界マジリスペクト」というレベルの感想なのに「人生観が変わった」みたいに置き換えることでその旅に意味付けをしているのではないだろうか。


若いうちに旅をしたら大きな影響を受ける。
だけどそれくらいの経験で生きていく指針である「人生観」が180度変わってしまうようだと、今後もことあるごとにコロコロ変わってしまって人生の迷路に迷い込んでしまいそうで心配だ。
本来の「人生観」とはもっとどっしりしたものだと私は思っている。