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ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

コネとか伝手とか使えるものはなんでも使ったほうがいいと思う

コラム

若いころは親のコネとか家柄だとか親戚の伝手(つて)とか、そういう自分の能力とは無関係の「ナニか」によって事を成すっていうのが本当にズルいことというかむしろ「悪」であるとさえ思っていた。
それがこの歳(アラフォー)くらいまで生きていると、なんでそんなことに拘っていたのか不思議だし、今なら使えるものはなんでも使えと若き自分にアドバイスを送るだろうと思う。


勉学に励んだりスポーツに打ち込んだりして、その努力の結果その後の人生が切り開ける。
それはきっと自分自身の努力の成果なんだけれど、それだって出自に影響される部分はかなり多い。

「貧困のループ」という考え方があるが、それは親が貧困層であるとその子どももまた貧困層になってしまうという考え方だ。

貧困層に甘んじている要因の一つに「教育」がある。
貧困層の親が「教育」というものの重要性を理解していないからそこにリソースを割くことがない。
もちろん貧困が故に教育にかけるお金がないということもある。

その結果、高度な教育を受けることができなかった子どもが親と同じ貧困層に留まることになってしまう。

十分に教育を受けられる環境下にあり、且つ学校以外の塾や予備校などに通わせる余力がある家庭とそうではない家庭とでは、同じポテンシャルを持った子どもでもその才能が開花する確率は変わる。

勉強だけではなくてスポーツも同じだ。
例えばフィギュアスケートの道に我が子を進ませようと思っても、金銭的負担を考えるとそれを実現できる家庭は決して多くない。






極端な例になるが、元ブラジル代表のロナウドはブラジルのスラムに生まれ育ったのだが、少年時代のある日その類まれな才能を見出されてプロテストに誘われた。
しかしその会場に行くための僅かなバス代がどうしても捻出できずにチャンスを棒に振ったことがある。
後に「フェノメノ(怪物)」とまで呼ばれる偉大な選手になるのだが、バス代すら出せないという極貧の中で、もしかすると彼の才能は貧困に飲み込まれて世に出なかった可能性もあったわけだ。

ロナウドのこのエピソードは、結果的に彼が大成したから出てくる逸話なわけで、最初のバス代が出せない時点でフルイから抜け落ちスラムのギャングになってしまった若者もおそらく存在する。
そういうケースは目に見えない。

【サッカー】限界突破してた頃のロナウド



バブルが弾けて以降この国の閉塞感は全く解消される気配も無いし格差は日々拡大している。
私は若いころにコネなんて使うのはカッコ悪いと真剣に考えていたのだが、もはやこの時代そんな悠長なことは言ってられない。
確かにそういったプライドを持つことは悪いことではないけれど、使えるものはなんでも使うという必死さこそが必要だと今の若い世代の皆さんが直面している困難を見ていると感じる事が多い。