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ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

景気が多少回復してきたようなので最近思うことなど

コラム ニュース

http://www.flickr.com/photos/24001469@N00/2291498814
photo by Perpetualtourist2000

バブルがはじける前はどんぶり勘定が当たり前だったのに、えんぴつ一本買うのにも上司にお伺いをたてなくちゃいけない御時世に突如変わった。
それまでは経費は使い切ってなんぼ、じゃぶじゃぶ使えとやっていたのに、手の平を返すように経費削減コストカットと社を上げて血眼になったりした。
この極端さはどちらも端から見たら滑稽だろう。

タクシーチケットを束で持ってばら撒いていた人が、出張のたびに金券ショップに赴いて新幹線代を一円でも安くあげようとする人になっていたり、ベンツだBMWだと一年ごとに買い替えていたような人が10年落ちの軽に乗っていたりする。

この鮮やかなまでの変わり身の早さは、いかにも日本的だと思わなくもないけれど、バブルが弾けてから約20年。節約という名の緊縮財政はおそらく多くの有形無形のモノを失っただろうと思う。


身近で一番感じたことは人件費を他の固定費と同じように考えて、極限まで絞ることが正義のような考え方が浸透していることに憤りを感じることが多い。
あらゆる固定費の中でも人件費が飛び抜けて高いのはわかる。

バブル全盛期には「人財」などと持て囃して、就職活動中の学生の頬を札束でぶつようなことをしてきた歴史がある。
学生が他社の面接に行かないように人里離れた温泉宿などに連れて行き、コンパニオンをあてがって毎晩のようにどんちゃん騒ぎをしたりする企業も少なくなかった。
面接に来てくれただけで足代と称して10万円の入った封筒を学生のポケットに押し込んだり、我が社に入社してくれるなら新車をプレゼントするというようなスーパーマーケットもあった。
会社に要求された人員数を確保できなかった人事担当者が自殺するといった事件もあった。

バブル当時は今では考えられないような、常軌を逸した人材の奪い合いが行われていたのである。


ところがバブルがはじけた途端にコストカットが叫ばれるようになる。
徹底的に無駄を省くために専門の部署を立ち上げたりする会社すらあった。
トヨタのカンバン方式を聖書の如くありがたがる経営者が増えたのも、このころからだったと思う。




時が進んで21世紀になってもバブルの後遺症は収まる様子もなく、続けてリーマン・ショックが発生した。
世界同時不況が始まっていよいよリストラの粛清が始まるようになる。

日本型の年功序列はとうに瓦解していて、リストラの不安を抱えながら個人の評価を気にしつつ仕事をやるのが当たり前になっていた。

現在は、自己評価シートを書かされた挙句にそれを上司に提出して、達成できないような無理筋の目標を立てさせられる。
それを元に評価され目標到達具合によっては減俸もあるような査定が毎年行われている。
これは書く方も嫌だが、それを受け取って査定する側も多大なストレスになる。
限りなく主観を省いたシステムのように見せかけてあるが実際はそんなことはない。
目標設定の時点で個別の差異が生じることについては、そこに感情の付け入る隙はないのかというと、かなり怪しいと言わざるをえない。
人間だから情を完全に捨てきることは不可能だ。
元々無理だろうという目標を建てさせておきながら、目標未達だからランクが下がるよとはなかなか言えない。
人件費を他の経費同様に節約する感覚がどうしても慣れない。

若手社員が「結婚しました」とか「子供ができました」とか、嬉しそうに報告してくれたりするのに、ちょっとばかり仕事ができないからと言ってその査定を下げる決断は、彼の向こうに透けて見える奥さんともうすぐ生まれる子供の姿がチラついて簡単にできることではない。
そしてそういうことを冷酷にこなせる者は、さらに出世できるのだが私には無理だ。この時期は円形脱毛症になりかねないくらいストレスフルに陥る。


話が脱線したので戻す。
年功序列というシステムは全ての面で優れているというわけでは無いけれど、現在の「人が人を査定するスタイル」では切り捨てられてしまうような部分を拾い上げることができた。
とにかく今は仕事ができるか否かだけに焦点が当たっていてゆとりがない。
B00CZRXMIS
釣りバカ日誌のハマちゃんのような社員は、今の評価システムではリストラ対象の筆頭になるだろう。
仕事はいい加減だし、釣りに行きたいから嘘を付いて会社を休むのは日常茶飯事。
でも彼が社内にいることで空気が変わり和気あいあいと仕事ができる会社になっている。
こういう能力というのは、余裕が許されない現代では評価されない。

宴会部長というのは、日常の仕事はできなくてもアフター5の能力が、ずば抜けているような人に冠されるあだ名だ。
会社の慰労会を盛り上げて社員同士の潤滑剤になったり、接待の場で先方に気に入られるユーモアや特技などを持っていて、普段の仕事ぶりは平々凡々でもそういった面が評価されていたりする時代があった。

無駄を省くことが正義という現代的な考えだと、上で述べたハマちゃんや宴会部長は「無駄」ということになるのだろう。
確かに一見無駄に見えるけれど、そういったゆとりというか余白というか余裕のようなものが無いと会社というものは、ギスギスした冷たい空気が流れて働き辛い環境になりがちだ。www.asahi.com
日経平均が2万円台に載せたようなので、そろそろ昔のようなゆとりを多少持ったっていい頃なんじゃないかと願うこの頃……。