ネットの海の渚にて

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炎上したルミネCMの対応に感じる危惧

ルミネのCMが話題になっている。
いわゆるフェミニストの方々の逆鱗に触れ「炎上」したようだ。
今回はそのCM内容についての是非を問うつもりはない。


「炎上」したルミネがこのような謝罪文を自社ページに掲載した。

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ルミネトピックス | LUMINE


このシンプル極まりない謝罪文の中に
この度は、弊社の動画においてご不快に思われる表現が
ありましたことを深くお詫び申し上げます。

と書かれている。


文面通りに受け止めれば、作ったCMが意図せず不快に思われる内容になっていたから、公開をやめます、ごめんなさい。
ということなんだろうと思う。


CMを取り下げた判断基準とは?

さて、今回のテーマにしたいのはこの「不快にさせた」という点だ。

何かを発表して不特定多数の目に留まる状態にしたら、まず間違いなく「不快」に感じる人というのが出てくる。
例えば赤ちゃんがニッコリと微笑んでいるポスターがあったとする。
多くの人は可愛らしいと感じたり癒やされたりするだろう。
けれどその写真を見て傷つく人もいるかもしれない。
数年前に不妊治療を諦めた私の姉は、今でも赤ちゃんを街で見かけると目を逸らすと言っていた。
赤ちゃんを抱いている母親に嫉妬してしまう自分が嫌だからというのが理由だそうだ。

仮に姉の職場の席の目の前に、朗らかに笑う赤ちゃんのポスターが貼られていたら、彼女の心中は穏やかではいられないだろうと想像できる。


何かの作品を発表した場合に、100人が100人とも「心地よい」と感じるようなものがあるだろうか?
これを1000人10000人と増やしていったら間違いなく、どんな作品でもそれを「不快」に感じる人が出てくる。


ルミネのCMの内容については論じないが、ルミネは「不快に感じる人がいた」からCMを引っ込めて謝罪文まで掲載したわけだ。
ならば、「不快」に思う人が何人になったらこのようなケースになるのか?
絶対数ではなくて割合でもいい。
仮に100人中30人が不快に思ったら取り下げるのか?
もしそうなら29人だった場合は、取り下げずその29人を無視するという判断をするのか?


CMというのは芸術とは違ってあくまで「宣伝」なのだから、企業に悪評が立つくらいならやめたほうが良いというのは非常によくわかる。
ではたった一人でも「不快」と感じる人がいたらやめるのか?
もちろん極論なのはわかっているが、今回の対応は何を判断基準にしたのか興味がある。


最近のCMだとAUの3大太郎が好きだ。
CMなのにドラマのように連作になっていてストーリーがあるし、登場人物同士の軽妙なやり取りが見ていて楽しい。
私からするとこのCMは珠玉の出来だと思うが、おそらくこのCMを「不快」に感じている人も確実にいると思われる。
www.youtube.com


声が大きいからという判断は危険

声のないサイレントマジョリティーの中に多くの「不快」に思う人がいたとしても、それは問題化しない。
ところが少数ではあっても声の大きい発言力のある人に目を付けられたら、大きな問題として表面化する。

今回問題になったルミネのCMが「炎上」したのは、声の大きい人に目を付けられたからなのか、どうかまではわからない。
それがきっかけになって、本来サイレントマジョリティーだった人たちも連鎖的に声を上げたから、大きな騒ぎになったのかもしれない。
そういった経緯はネットで追っているだけではよくわからなかった。

ルミネ側がどの時点でCMを取り下げる判断をしたのか発表してもらわないと真相は藪の中だ。


今後もルミネと同じように何かのきっかけでやり玉にあげられる企業というのは続くだろうと思う。
そういった場合になにを判断材料にするのかを注視していかないと、一時期の「言葉狩り」が横行していた時代に逆戻りしてしまわないか心配な面もある。

表現の自由と個人の感じる快、不快のどちらを優先するのかは、大変難しい判断が必要になってくるが、行き過ぎた自重は自由な表現を萎縮させることにならないかと危惧している。

「言葉狩り」と出版の自由

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