これを読んだ。
とにかくモヤモヤして上手く言語化出来ないから自分の中で消化できていない。
このままだと胃もたれを起こして、良い睡眠が損なわれそうだからちょっと考えをまとめるために書いてみる。
(ほぼ自分の為に書いているので、読み物としてのクオリティは低いと思いますがその点については大変申し訳ない)
代表的な意見を幾つか貼りだす。
俺はこの経験から障害者を普通の人間として扱おうとする奴らの愚かさを主張するからな!
全盲の女子生徒の件は都会の混雑駅とかラッシュ時の駅にいる奴が悪い部分もあるだろ!!!全部相手が悪いみたいな被害者面してんじゃねぇぞ!!!!
— 小宮 (@komiya2828) 2014, 9月 10
そういう見方が一番単純なんだけど、逆に朝のラッシュ時に全盲の生徒を公共交通機関で通学させるのは虐待じゃないの?と思う訳です。普通の人だってぶつかるよ?
— こさめ (@emudios9600) 2014, 9月 9
良い悪いでなく障害者はラッシュ時は避けた方が世の中回るだろなって思うし
— 季節のおかゆ (@o_kayui) 2014, 9月 11
フォロワーの数が減るの覚悟で全盲女子生徒事件の事を呟く。そりゃ1番悪いのは蹴ったジジイだと思うけど、朝の通勤ラッシュの時間帯に通学させないように学校の配慮もあってもいいと思う。我々健常者も配慮は必要だが障がい者の方も健常者に配慮をしてお互いが気配りして行くのがいいと思うなぁ。
— mitsutarou (@tangiedman) 2014, 9月 10
これらのつぶやきを要約すると、マイノリティである障害者とマジョリティである健常者が同じ公共の場で交錯するときに、お互いが少しずつの気遣いをすれば上手く回るんじゃないの?っていう意見だろう。
もちろんこの考え方には賛同する。
これは別に健常者と障害者の話だけではない。
極々一般的に適応されるべき考え方だ。
ところがその体裁を保ちつつ、よく読んでみると障害者に「だけ」配慮を求めているように読めるのだ。
朝のラッシュ時に全盲の方が誰かと接触してしまう事故は、おそらくそこかしこで起こる事象なのだと思う。
その中で先日の事件になった行為はあからさまに悪質度が高い。
だからこそ話題になって議論が巻き起こっているわけだけれど、それと同時にある種の差別意識が浮き彫りになっているように見える。
もちろん本人たちは意識していないのだと思うが、無意識の部分で譲るのはマイノリティ側という意識が透けて見える。
資本主義的視点で考えればマイノリティ側に改善点を押し付ければ全体としてのコストが低減する理屈は理解できる。
しかしながらそれを感情的には納得出来ない。
朝のラッシュ時に不要なトラブルを避けるために障害者に対して、出勤通学時間をずらせと言うのはやはりしっくりこない。
健常者と障害者がトラブル無く利用できる環境を作るのが、まず先にあるべき姿だと思うが、そういった段階を飛び越えてマイノリティ側に譲歩させようという考え方は悲しくなる。
異常とも思えるラッシュ時の混雑は都会の宿命のようなものだけれど、そこから派生する様々な問題は少しづつ私達を蝕んでいる気がする。
今回の白杖の件。ベビーカーの件。痴漢や痴漢冤罪。満員電車に毎日揺られることで生じるイライラからちょっとした事で起こってしまう傷害事件。電車トラブルは枚挙に暇がない。
何故かマイノリティ側に押し付けようとする対症療法的解決策。
根本的な欠陥に対して目を向けず、目についた状況だけを場当たり的に批判して解決しようとする浅はかさ。
多分こういうところがモヤモヤした原因なんだと思うけれど、じゃあお前はどういうアイデア持ってんだよって言われると困る。
こういった問題に対してこれといった解決策が全く思いつかない自分自身に一番モヤっとしているのかもしれない。