ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

全盲少女に巻き起こった批判に感じるモヤモヤの正体


これを読んだ。
とにかくモヤモヤして上手く言語化出来ないから自分の中で消化できていない。
このままだと胃もたれを起こして、良い睡眠が損なわれそうだからちょっと考えをまとめるために書いてみる。
(ほぼ自分の為に書いているので、読み物としてのクオリティは低いと思いますがその点については大変申し訳ない)


代表的な意見を幾つか貼りだす。



これらのつぶやきを要約すると、マイノリティである障害者とマジョリティである健常者が同じ公共の場で交錯するときに、お互いが少しずつの気遣いをすれば上手く回るんじゃないの?っていう意見だろう。

もちろんこの考え方には賛同する。
これは別に健常者と障害者の話だけではない。
極々一般的に適応されるべき考え方だ。
ところがその体裁を保ちつつ、よく読んでみると障害者に「だけ」配慮を求めているように読めるのだ。

朝のラッシュ時に全盲の方が誰かと接触してしまう事故は、おそらくそこかしこで起こる事象なのだと思う。
その中で先日の事件になった行為はあからさまに悪質度が高い。
だからこそ話題になって議論が巻き起こっているわけだけれど、それと同時にある種の差別意識が浮き彫りになっているように見える。


もちろん本人たちは意識していないのだと思うが、無意識の部分で譲るのはマイノリティ側という意識が透けて見える。
資本主義的視点で考えればマイノリティ側に改善点を押し付ければ全体としてのコストが低減する理屈は理解できる。
しかしながらそれを感情的には納得出来ない。


朝のラッシュ時に不要なトラブルを避けるために障害者に対して、出勤通学時間をずらせと言うのはやはりしっくりこない。
健常者と障害者がトラブル無く利用できる環境を作るのが、まず先にあるべき姿だと思うが、そういった段階を飛び越えてマイノリティ側に譲歩させようという考え方は悲しくなる。


異常とも思えるラッシュ時の混雑は都会の宿命のようなものだけれど、そこから派生する様々な問題は少しづつ私達を蝕んでいる気がする。

今回の白杖の件。ベビーカーの件。痴漢や痴漢冤罪。満員電車に毎日揺られることで生じるイライラからちょっとした事で起こってしまう傷害事件。電車トラブルは枚挙に暇がない。
何故かマイノリティ側に押し付けようとする対症療法的解決策。
根本的な欠陥に対して目を向けず、目についた状況だけを場当たり的に批判して解決しようとする浅はかさ。


多分こういうところがモヤモヤした原因なんだと思うけれど、じゃあお前はどういうアイデア持ってんだよって言われると困る。
こういった問題に対してこれといった解決策が全く思いつかない自分自身に一番モヤっとしているのかもしれない。