ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

好きなものへのこだわりの強さや愛はなかなか伝わらなくてもどかしい

先日この記事を書いた。
dobonkai.hatenablog.com

そもそも映画が好きでその中でもSFというジャンルにはとりわけこだわりがある。
だから相当時間をかけてこの記事を書いた。
思い入れが強いから取捨選択を繰り返していって、どうしても外せないというものを残していったら25本になった。
もちろん制限なく書いていけば50本でも100本でもやれるんだがそうなるとブログという読み物の範疇を超えた「ナニカ」になってしまうと、私は思っているからある程度数は抑えたい。
その葛藤のなかで出した答えがこの記事に関しては25本だったということだ。

さらにその前に書いたこちらの戦争映画の記事では結局30本上げてしまっている。
dobonkai.hatenablog.com

両記事とも当初は10本くらいでまとめたかったがどうしてもこぼれ落ちてしまう作品に対しての思い入れが強くて、リストラできずに結果としてそんな本数になってしまうのだ。


好きなモノを記事にするというのは正直疲れる。
どれだけ思い入れがあって書いたとしたって心ないコメントももらう。
「25本じゃなくて10本にまとめろ」みたいなコメントもある。

SF記事に関しては「ガタカが入ってない」とか「ゼロ・グラビティはどうした」みたいなコメントがあるが、その2つを入れなかったのは私がその作品を好きではないからおすすめのラインナップに意地でも入れるわけにはいかないということだ。
正直「ガタカ」は映画としては良く出来ているがSF映画としてよく出来ているかと言われると疑問符がある。
もちろん人間ドラマという観点からみたら大変良く出来た映画であるし、ひとにおすすめできるレベルの出来ではあるが、あくまでもSF映画のおすすめ記事なので入れなかった。同様に「機械じかけのオレンジ」を入れなかったのもガタカと同じ理由からだ。
「ゼロ・グラビティ」に関しては、褒めるところが思いつかない作品だし、なんであの状況でジョージ・クルーニーが生きてんの?って展開も納得できなかったし、とにかくご都合主義がキツすぎて申しわけないがおすすめに入れられない。


この個人的なこだわりをやめてしまったらこの手のおすすめ記事は死ぬ。
あくまでも個人的におすすめしたい作品を列挙してるのであって、世間の評価は関係ない。
どこまでいっても個人の好悪によってのみ書いているからこそ意味があると思っている。






こちらの記事を読んだ。
xkxaxkx.hatenablog.com
自分にとって大切で思い入れのあるものを、適当に(見える)ランキング付けされた記事を見たら頭に来るのは大変良くわかる。
その対象はそんなに簡単に扱っていいものじゃねえんだよという感情が湧くのは私も同じだ。


おすすめのSF映画記事を書いた数日後に似たような記事がホッテントリに上がっているのを見た。
その記事からは全くSF作品に対する愛が感じられなかったし、個人的なこだわりなんかのかけらも見られなかった。
私から見たらそんな価値の無い記事でも多くの「参考になります」的なブコメが付くのであって、一般的に見たら私の書いた記事とその適当な記事も同じような消費のされ方をしているわけだ。

結局は、ある特定のジャンルに対して愛情豊かに深い造詣があったとしても、それが伝わるのもまた極少数の一部だけであって、それ以外の人たちはそんなこだわりは評価してくれない。
下手をするとそのこだわりの強さが結果的にニワカを排除するような圧力として働いてしまう可能性すらある。


ただひとつ言えるのは、自分の好きなモノを適当に扱われて蔑ろにされたと感じたものを回復させるには、思い入れと愛情をたっぷり込めた自分にしか書けないおすすめ記事を書くことしか無いだろうと思っている。