ネットの海の渚にて

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その評価や地位は本当に自分の実力や才能だけで得たものですかという疑問

これ読んだ。
「アニメーターの賃金は安過ぎる」「それは、貴方の絵が下手だからとは思わないんですか?」というやりとり - Togetterまとめ

「デューラーを知らない人ってやばいな」元ゲームフリークの天才画家・森次慶子さんが炎上した後のツイート - Togetterまとめ

100文字しか書けないブコメじゃ書き足らないのでここに書く。


私は人が人を評価するという、当たり前に世界中で行われてるそういうシステムを信じていない。
信じていないというか、あまりに不備がありすぎて公正さが欠けているために、その人の能力以外の要素、例えば運の良し悪しとかそういう不確定要素に左右され過ぎであるから人が人を評価したり査定することに多いに不満がある。
確かに不満だらけではあるけれど、現状それに変わる有効的な代替案も想像できないし、いわゆるベストではないがベターなんだろうという諦めもある。



例えば似たような仕事を2人に与えてその出来を判断して査定するとした場合に、どこまでその正確性を担保できるかという問題がある。
そもそも世の中に全く同じものなど存在しないので、そういった比較自体が無意味ではあるけれど、理系の現場のような厳格な実験環境を実社会に持ち込むことは出来ないことくらいはわかっている。
私が言いたいのは誰かが誰かを評価したり査定したりするときに、どれだけ公平で公正な環境下でそれが行われているかということだ。

私の会社では一年に一回、直属の上司と面談をしてその年の査定が行われる。
仕事の評価というのは数字で現れる部分とそうでない部分がある。
本来なら客観的指標になるはずである数字ですら、本当に皆が同じ条件下で計測されていたかという疑問がある。
そして数字以外の部分には本人と上司との人間関係、もっと簡単に言えば好き嫌いによって評価に幅が発生しうるだろうということが容易に想像できる。

なぜなら私自身が評定される側でもあるし部下を評定する立場でもあるからだ。
だからこそ評定の時期は心労が大変なことになる。
心を無にして私情を挟まず公正さを保つために機械のように部下を評定しようとするのだが、正直に言ってそんなのは無理だ。
どうしても情が絡む。

例えば小さな子どもが生まれたばかりの部下の評定を、前年より一段回落とすなんてことは私には出来ない。ランクが落ちれば年俸も落ちるからだ。
確かに数字を見たら前年目標から落としているし、仕事で大きなミスもしている。
でもなぜそんなことになってしまったのかという理由もわかっているから余計に苦しくなる。
わたしは機械ではないから評価を1ランク落とした書類にハンコを押せるような冷酷さを持っていない。
当然こういうことをすれば、今度は私が上司から厳しい査定をされることになるのだが私には子供もいないしもう出世も諦めているからどうでもよくなってきた。

やはり人が人を評価するという事自体が不備だらけとしか思えない。



気がついたら会社の愚痴になっていたが、本来書きたかったことはちょっと違う。
冒頭のtogetterに出てくる新人アニメーターは過酷な現場であるのにもかかわらず、とても生活できないレベルの報酬しかもらっていない事実を公表し世間に訴えている。
それに対して画家の女性は画が下手なんだから給料が安いのは当たり前だろうと発言している。

さらにこの女性画家は絵が上手いのならそんな会社に属せずフリーになって高い報酬の仕事を受けたらいいじゃないかと続けている。

これはまさに勝者の理論である。
絵描きという苛烈な競争の中を勝ち残り名を売った勝者だからこそ言える意見であり、ある一面から見れば確かに真実だろうとは思う。

だがそれは勝者が勝者の理論で弱者をぶん殴っているというあまりに救いのない構図でしかない。

絵描きと言うのは誰かによってその才能を見出され、書いた作品が売れるようになることが一つの成功の形なのだと思うのだが、ここで思い出していただきたいのは人が人を評価するのは決して公正ではないということだ。

私は絵の業界に詳しくないのでよくわからないけれど、そもそも美大に行けるだけの財力がある人とそうでない人ではスタートラインからして違うだろうと思う。

もっと言うと親や知人にそういった業界への太いコネクションがあったりしたらそれだけ有利だろうというのは容易に想像できる。

新人アニメーターを「画が下手だから」と一蹴した画家の人は、本当に自分の実力と才能だけで今の地位を得たのだろうか?
恵まれた環境下にいたからこそ画家として高い評価を得た可能性もあるわけで、もし純粋に自分の力だけで今の評価を得たのだと信じているのであれば楽観的に過ぎるだろう。

ファン・ゴッホは生前評価されずに心を病み自ら命を断ったが、もし彼や彼の知人にパトロンになれるような金持ちのとの太いコネクションでもあったなら、もしかすると歴史は変わっていたかもしれない。
良い絵を描けるからといって必ずしも正しく評価される保証はないわけで、だとしたら今の自分自身が評価されているのはもしかしたら運が良かっただけなんじゃなかろうかという謙虚さは持っていないと、勝者の理論で弱者をぶん殴るだけの傲慢な人になってしまいかねない。