ネットの海の渚にて

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昔はラジオ 今はツイキャス

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photo by Claudio.Ar

先日、ツイッターで流れてきた一連のつぶやきを見て少し考えさせられたことがある。
歳の頃は俺と同じくらいの、あるアカウントが「昔はラジオの真似して友達とテープに吹き込んだりして遊んだもんだ」といったようなつぶやきをした。
それに対して中学生とおぼしきアカウントが「うわっキモい」とコメントしていた。

まあ確かにキモいのはわかる。
実際に俺だって似たようなことをしたし、周りの友達でもっと本格的にやっていた者もいた。
それは親しい仲間内にしか聞かせないもののはずなのに相当に作りこんであって、局地的にではあったがなかなかの人気を誇っていた。

テープは勝手に何本もダビングされて、いろんな奴がかわりばんこに聞いていた。
だいたい月に一本のペースで新作が生み出されていた。
それを真似して後に続く者もいたけれど、やはり先行者であるオリジナルにはかなうはずもなく、人気の出ぬままひっそりとやめていった。


もともとがオールナイトニッポンを真似て始めたはずだったのに、もはやその面影はとうになくなって彼のオリジナルといっていい番組になっていた。
正確な数はわからないけれどおそらく40〜50人のリスナーはいたと思う。
それくらい彼は人気があった。


彼の顔も本名も知らないのに彼の似非ラジオは聞いたことがある、そんなやつらも結構いたはずだ。


まさに若気の至りで今思い返せば恥ずかしいことこの上なしなんだが、じゃあ今の若い子たちはそんなことをやらないのかといえばそんな事はない。

俺らの時代はテープレコーダーに吹き込んで仲間内で楽しんでいただけだが、今の子はスマホに直接語りかけて、ニコ生なりツイキャスで自覚があるのか定かではないが世界に発信している。


最近の子の方が才能があって面白いものを作っているのかといえばそんなことはないはずだ。
基本的には俺達が学生の時と変わらない。
面白い奴は面白いし、つまらん奴はつまらん。
それは何時の時代でも同じはずだ。


ラジオの真似事をしている奴は誰しもが面白いわけじゃなくて、やっぱりその中でも面白い奴は誰かに発見されて広まる。
今もそれは基本的には変わらない。
ツイキャスだろうがニコ生だろうが面白い奴がやればそれは面白いけれど、つまらん奴がどんなに便利なツールを使ったって面白くなるわけがない。


たまたまそんな事を考えている時にこのつぶやきが回ってきた。


ツイキャスやニコ生をやっているだけで、なにか自分が特別な感じに思えて勘違いする感覚はわからなくはない。
とはいえ今はスマホ全盛時代だ。誰しもが当たり前に持っているからそれこそアプリさえ入れてしまえばだれでも発信者になれる。
何万ものリスナーを抱える人気者も、僅か数人の仲間内しか閲覧にこないような放送でも、くくりとしては同じ「生主」ということになる。
この手のサービスはおしなべて勘違いを助長させるシステムになっている。


こういう勘違いは麻疹のようなもので皆が通る道だ。
いわゆる中二病というやつなんだが、リアルに中二だとなかなかそれに気が付けないのもこの病気の特徴だ。
このツイートに出てくる子たちもあと何年か経ってこの日の出来事を思い出したら顔から火が出る思いだろう。
それもいい思い出になる。

夏休みってうらやましいなぁ。
しみじみそう思った。