ネットの海の渚にて

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自然との付き合い方について考えた話

昨日ツイッターでこのPOSTが回ってきた。


それをリツイートしてこのつぶやきをした。


おそらく老ノ坂(id:oinosaka)さんはこれを読んだ上で次のつぶやきをされたと思う。


老ノ坂さんのつぶやきに刺激されたので今回はこの事について考えてみたい。


私が考える「自然」とは大きく分けて2種類ある。
人の手が入った「管理された自然」と人の手の及ばない「ありのままの自然」の2つだ。


当家の実家は凄まじい田舎にある。
主要産業は林業だ。
例に漏れず過疎化の波に飲まれ後継者不足から山林は荒れ始めていると聞く。
それでも叔父を中心に少数ながらも山林の維持管理に日々を費やしているからまだ他の地域に比べたら保たれているほうである。
叔父も高齢なのでこれから先何年続けられるのかわからないけれど、今の現役世代が引退してしまえば山が荒廃してしまうのは間違いない。


その田舎に昔知人を連れて行ったことがある。
その人はそこに広がる景色を見て「凄い大自然ですね」と言った。
山肌はみずみずしい木々に覆われた深い蒼だし、目の前を流れる川にはもはや幻に近い天然のイワナやヤマメが生息している。
絵葉書のような「自然」がそこには広がっている。

しかしこれらは全て人の手が入っている。
健康な木々が山肌を覆っているのは間伐をしたり下草を刈ったり、あるいは古くなった木を切り倒してそこに新たな苗を植えたりする地道な作業の賜だ。
目の前を流れる川もそうだ。
ここから数キロ登った先には人工の堰があるし、各地の沢からの流れ込みには砂防ダムも設置されている。
そうやって土石流が起こらないように人の手によって予防、管理されている。

要は見えていないだけなのだ。


本家のある集落より一つ手前の集落は、かなり有名な観光地になっていてそれなりに観光業で食えている。
訪れる観光客は山深い自然に囲まれて長閑な雰囲気を楽しんでいる。
そこはヤマメ蕎麦が名物だ。
観光客はヤマメが丸々一匹乗っている蕎麦を喜んで食べているそうだが、そのヤマメはその地よりはるか下流域で養殖されているヤマメだ。
もちろん食堂に天然のヤマメとは一言も書いていない。
それになにより天然モノを使ったとしたらあっという間に資源が枯渇する。
養殖物を使うのは当たり前の話だ。

それでも観光客は自然を楽しんでいる。
佃煮やまめ甘露煮(真空包装)
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話を冒頭に戻す。
人間の手によって守られ作られた自然と手付かずの自然の2つがあると書いたが、我々一般人が本当の意味での「手付かずの自然」に触れられるチャンスは殆ど無い。

前人未到の地に行けば確かに手付かずの自然なのだろうけれどそんなところは冒険家でなければ到達できない。


だからこそ私達の身の回りにある人の手によって作られた「自然」をもう一度よく考えて欲しい。
街なかを流れる都市型河川には鯉ばかりが泳いでいる。他の魚はほとんど姿を見ない。これは一体どういうことなのか。

ホタルの住む川にすると言い、元々そこに生息していなかった種のホタルを放つことはどういうことなのか。


自然と人間との関係は過去から現在まで連綿と続いている。
これから先も自然と折り合いを付けていかなければ、ならないわけだけれどお手軽な自然保護がかえって自然にダメージを与えているケースも散見される。
それらのほとんどは冒頭で紹介した記事のように知識の欠如からきている。
おそらく主催者も参加者も悪気がない。
むしろ良いことをしているとさえ思っているのだろう。
汚れた河川にEM菌を投げ入れる行為と同じような浅はかさを感じざるを得ない。

夏休みが始まって子どもたちはいつにもまして多くの自然と触れ合うことになる。
これを読んでいただいたお父さんお母さんに、今一度子供さんと「自然」とは何かを考えてもらいたいと思いこの記事を書きました。

参考記事
ホタルの養殖と放流についての諸問題ホタルの養殖と放流についての諸問題はてなブックマーク - ホタルの養殖と放流についての諸問題

EMなどのニセ科学とどう向き合うか - 片瀬久美子EMなどのニセ科学とどう向き合うか - 片瀬久美子はてなブックマーク - EMなどのニセ科学とどう向き合うか - 片瀬久美子