ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

ボクと父と愛犬「リキ」の話

ボクの父はとにかく酒が好きだ。
昔はウワバミと呼ばれるほどに飲んだ。
最近は流石に歳を取ったせいなのか弱くなってきたといってもやはり飲む。
したたかに酔っ払うと大抵同じ話をするのだがそのレパートリーの一つを今回は紹介したい。
この話はもうおそらく100回は聞いたと思うがそれでも父が話し始めるとボクは「うんうん」といって聞いてやる。

そんな話の中でも特に印象に残っているエピソードを紹介するがあえて一人称の手法を取るのでこれ以降の文中の「ボク」は私の事ではなく父の事なのでお間違いなきように。
時代は昭和30年代前半、当時小学生だった父の話です

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Francis.jpg | Flickr - Photo Sharing!

ボクとリキ

ボクは山間の集落の更に外れに住んでいる。
戦後それほど経っていないせいもあるがもともとが寒村でコメすらまともに手に入らなかった。白米のみの銀シャリは年に数回しか食べられないご馳走だった。普段は稗や粟を混ぜたご飯しか食べられなかったから銀シャリには痛く感動した。



そんなある日いつものように小学校から帰っていると山道から何かが飛び掛かって来た。
ボクはびっくりして腰を抜かしその場にひっくり返った。
突然飛び出してきたそれは子犬だった。
仰向けで倒れたボクの顔をペロペロと舐め続けるからくすぐったくてその子犬を抱え上げた。
柔らかくてふわふわでその子犬はボクの目を真っ直ぐ見つめてクンクン言っている。
あまりにもクンクン言うので思わず抱きしめた。顔を舐めようとジタバタする。こんなにちっちゃいのに結構力があるもんだと感心した。
ちっちゃくてふわふわで暖かくてとにかく可愛かった。でも家は貧乏なので犬を飼うことが出来ないことをわかっていた。
だからボクはその子犬を地面に置いて「ごめんよ。おまえのことは好きだけど飼ってあげられないんだ」と言った。
そう言ってボクは家へ向かって歩き始めた。
しばらく歩いて振り向くと子犬が着いてきている。
無視してまた歩いた。それでもついてくる。
「着いてきちゃだめだよ」と言ってボクは走った。
息が切れたころ立ち止まって振り向くとやっぱり子犬はそこにいた。
ボクはとうとう根負けして子犬を抱き上げた。
子犬は一心不乱にボクの顔を舐めた。

抱いたまま家に着くと母に犬を見せて飼いたいと告げた。
母は「お父さんに聞きなさい」と言った。
父は怖くて厳しくて苦手だった。なかなか言い出せずにモジモジしていると父から声をかけられた。
「その犬飼いたいのか」と父が言ったのでボクは「ハイ」と答えた。
「お前を含めて子供が6人。それと母さんと俺。爺さんと婆さんもいる。犬まで食わせてやる余裕はない」そう言って父は怖い顔をした。
子犬はクンクン鳴いている。
勇気を出してボクは言った。
「ボクの食べる分を犬と分けるから飼わせてください」
父は怖い顔をしたまま腕を組んで「それならいい」と言った。

その晩から子犬と一緒の布団で寝た。
名前は「リキ」と名付けた。
お腹は少々減るけれど親友が出来たことが嬉しかった。

それから毎日学校へ一緒に行った。
学校の中へは連れていけないから校門の脇で待たせておくと帰りの時間までちゃんとそこに居た。
どこに遊びに行くのも一緒でリキは頭が良くボクが声をかければどんなに遠くからでも一目散に走ってきた。
そんな生活が数ヶ月続いたある日父に呼ばれた。
「リキを猟犬にする」と父は言う。
この地域では猟を行う際犬を使った。
当家は犬を飼ったことが無かったから父は猟の際、猟犬を持っている人と共に行かなければならず前々から猟犬が欲しいと思っていたことは知っていた。
立派な成犬になったリキを猟犬にしたくなるのは当然だったのでボクはそれに従うことにした。

その週末にリキを猟犬として仕込むために山に入ると言ったのでボクも連れて行ってもらった。
村で猟犬育ての名人だったおじさんと父、そしてボクとリキ。
リキは賢い犬だったので憶えが早かった。
おじさんが「この犬はいい猟犬になるぞ」と言ったからボクはなんだかとても誇らしかった。
数回の訓練であっという間にリキは立派な猟犬になった。



その日は夏休みの後半で茹だるような暑さだった。
鹿を打つために父とボクは山に入った。
そこは斜面の途中に僅かばかりの平地があって草を食むために鹿が姿を表す絶好のポイントだ。
斜面の東側は切り立った崖になっている。崖の淵ギリギリのところは背の高い草が生い茂っていてよく見えない。獲物は大抵その中にいてリキが回りこんで追い立てると驚いた鹿が平地に飛び出て来る。そこを猟銃で狙うのがいつもの作戦だ。

その日もいつものようにリキは身を屈めながらひっそりと草むらの反対側へと回り込んだ。
草むらの中で何かが動いているのが見えた。
父の合図でリキが一気に草むらへ飛び込んだ。


妙な音がした。

ドスンと音がして本来なら鹿が飛び出してくるはずなのに何も出てこない。
ボクは嫌な予感がしてリキの名前を叫んだ。

「リキ、リキーッ」

しびれを切らした父が草むらに分け入った。
バーンと銃声が聞こえた。
父が呼ぶのでボクも草むらに入ったがそこにリキはいなかった。
大きな猪が血を流して身を横たえていた。
草むらの奥、崖の下を覗くと遥か下にリキがいた。
大きな岩の上にぐったりと横たわったリキは何度名前を呼んでも反応は無かった。
「猪にやられたな」
父はそれだけ言った。


ボクは次の日一人で崖の下を訪れたがリキが横たわっている岩とこちらとの間には滝と言ってもいいくらいの沢が流れていてどうしても渡ることが出来なかった。
リキは昨日崖上から見たときと同じ格好のままだった。

もうリキの名前を呼ぶことはしなかった。

あとがき

ボクが小学生のころ友だちが子犬を飼ったので自分も犬を飼いたいと父にしつこくねだったことがあった。
今回の話はその時に初めて聞いた。
「犬が死ぬと悲しいから犬だけは飼いたくない」そう言って父はこの話をしてくれた。

今でも父が酔ってこの話を語り出すと、うっすら目に涙をためていることをボクは知っている。

いぬ

いぬ