ネットの海の渚にて

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映画「イントゥ・ザ・ワイルド」を見たので感想を書いた【INTO THE WILD レビュー】

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ブログを書くようになってから、自由になる時間のかなりの部分を、ブログにまつわる作業に取られてしまって、趣味である映画鑑賞にリソースを割くことが少なくなっていた。
それでも時間を遣り繰りしながら確保して、どうにか映画を見るのだけれど、わざわざ感想を書きたくなるような映画にはなかなか巡り会えなかった。

先日「イントゥ・ザ・ワイルド」をdビデオで鑑賞した。
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今回はこの映画の感想を書く。
どうしても書きたくなる作品だった。


荒野へ

比較的裕福な家に生まれた主人公クリス・マッカンドレスは大学を優秀な成績で卒業した直後、家族に何も告げずに放浪の旅に出る。
世間からみたらいわゆる「勝ち組」に属するクリスだが、2万4千ドルあった貯金のすべてを慈善団体に寄付しただけでなく、自分の車も乗り捨て、わずかに持っていた最後のお金と身分証をその場で燃やしてしまう。
彼はその後、自分のことをアレグザンダー・スーパートランプと名乗るようになる。(スーパートランプとは放浪者という意味を内包している)

身分証を焼き、名前を変えるということは、今までの自分との決別の象徴であるし、同時に過去の否定でもある。
彼はこれから二年間にわたって最期の時まで放浪を続けることになる。
映画はこの二年間の放浪生活と、ここに至るまでの過去とが交互に説明されていくことで、彼がなぜ「荒野(アラスカ)」を目指したのか?ということが徐々に明らかになっていく。

この物語は事実が元になっている。
1992年9月にアラスカの荒野に打ち捨てられたバスの車内で餓死した男が、ヘラジカを追ってたまたま訪れた猟師によって発見されるのだが、それこそがまさにアレグザンダー・スーパートランプことクリス・マッカンドレスその人だった。まだ24才の若さだった。

若い彼はなぜ生命を落とすことになってしまったのか……。




若さゆえの青臭さと頭でっかち

劇中で彼は典型的なこじらせたインテリとして描かれている。
放浪の旅に携えている本がトルストイというところもわかりやすい。
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(この写真はクリス・マッカンドレス本人)

クリスがすべてを捨てて旅に出たのは、両親の特に父親への不満が原因であると描かれている。
両親の不和や、幼少期の不遇などは決して珍しいことではなくて、大学まで親の庇護のもと通わせてもらっていたクリスは、他の類似ケースに比べたらむしろ幸せな部類だったかもしれない。
でもそういったことは相対化してはじめて分かることだし、子供の時分は目に見える範囲だけが世界なので、自分を悲劇の主人公に仕立ててしまうのはよくわかる。
けれどそういった未熟さからくる青臭い感傷は、大学に行ったりして世間と接することで徐々に治癒するものだが、クリスはそうならなかった。
あまりの純粋さと脆弱さが同居した彼の内面世界において、両親との決別と物質世界からの離脱こそが自身の解放なのだと信じたのだろう。

そういう考え方というのは私のように青春期をはるかに過ぎた者から見ると、青臭さと未熟さが鼻につく。
もちろん自分だってクリスと同年代の頃は同じような悩みを抱えていたし、青臭い理論を振りかざして世を儚んで見せたりした。
言ってみれば過去の己を見るようで気恥ずかしいのだ。
もうひとつは自分も同じようにこじらせていたくせに、クリスのようなぶっ飛んだ行動力を持てなかった事実に対してある種の嫉妬をしているのかもしれない。


モラトリアム

若者だけが持つ特権の一つにモラトリアム期間があるが、クリスはまさにそれに当たる。
大学卒業後に自分はどのような道で生きていくのかを考える時間がクリスには必要だった。
それこそがモラトリアムであって、アラスカに行く目的だ。

見方を変えればクリスのアラスカ行きは広義の自殺と言ってもおかしくない。
彼の死因は餓死だ。
明らかに孤独な荒野で生き抜くための準備不足だし、知識の無さからくる多くの失敗が描かれている。
ようやく仕留めた大きなヘラジカの、解体処理を間違えたためにウジが湧いてしまって食べられなくなったり、夏場は雪解けによって川の水量が増えることを知らずに、渡川しようとして死にかけたりする。
挙句の果てには食料不足からくる飢餓のために、毒草に手を出してしまって一気に衰弱してしまう。アラスカの植物図鑑が手元にあったのにだ。

これら全てはクリスの準備不足が招いた結果であって、本来の自然の残酷さが牙を剥いただけである。
自然は決して優しく包み込んでくれるような存在ではない。
容赦なく人を殺す。
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(死亡直前の最期の写真。痩せこけている)

アラスカという荒野はクリスのような厭世家が目指す地でもある。
人跡未踏の地がまだ残っているフロンティアな部分がそういう人種を招き寄せるのかもしれない。
けれどクリスと同じように荒野にて命を落とす者もあとを絶たない。
そういう意味では青木ヶ原樹海に似ている。
世の中に絶望した者が吸い寄せられるという意味においては近似している。


クリスの行動は広義の自殺とも取れると書いたがおそらくクリス自身はそんなことを思ってもいなかったはずだ。
彼の無鉄砲で無計画な若さゆえの過信と過ちを荒野は許してくれなかっただけだ。
彼はあくまでも過去の自分との別れと新生に賭けた。
そのためのアラスカ行きだったのだろうと思う。

最期に彼はこのメッセージを残す。
Happiness is only real when shared
(幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ)

孤独を選んでアラスカに旅だったクリスは最後の最期に幸せとは誰かと分かち合うことなんだと気づくのだが、もう荒野から引き返せるだけの体力は残されていなかった……。



私がもっと若いころ。それこそクリスと同じくらいの年齢の時にこの映画を見ていたら多分もっと違った印象を持ったに違いない。
もしかしたらクリスに多大なシンパシーを抱いて似たようなことをやろうとしたかもしれない。
この作品はぜひ若い人に見てもらいたい。

こちらは原作本


参考リンク
この件について語っている実の妹さんのサイト
Carine McCandless