ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

「金沢」と聞くと思い出してしまう苦い記憶

f:id:dobonkai:20150711165413j:plain
もう10年も前の話だ。

金沢の営業所長が体を壊して至急人員を補填しなくてはいけなくなった。
その時の条件は即戦力で、しかもパートさんや嘱託員さんの管理運営もできることが必要だった。
もう一つは急病の所長さんの様態が芳しくなく、状況から鑑みると一時的な助っ人という訳にはいかないだろうという見込みだった。

つまり、期日の決まっていない出張というよりも事実上の転勤になる算段だった。
それも急遽のことだったから、家庭持ちよりも身軽である独身者に内々で打診があった。

全国に営業所があるから、私以外にも何人かの人に打診していると部長には聞いていた。
まさか自分が最終的に指名されるとは思ってもいなかったから、数日後に呼び出された時には正直驚いた。

でも先に述べた条件に合致するように営業所の運営が出来て、かつ独身というと確かに自分が適任であると思えた。
なので多少の逡巡はあったものの了承すると部長に伝えた。
自分の実力をきちっと評価してもらえているのだと嬉しかったことを憶えている。(金沢は自分がいた営業所の数倍の規模があった)






その後はもうバタバタだった。
いきなりの転勤だから引き継ぎの手続きに四苦八苦した。
この話が出たのが8月の頭で、私の引っ越しはお盆を利用するということでスケジュールは決められた。

私に任されていた業務の引き継ぎを全て口伝でやるのは不可能なので、マニュアル的なものを作るのだが、それと平行して転勤先の新たな業務内容も資料と首っ引きで叩き込むという、人生史上一番過酷な10日間だった記憶がある。


金沢の事務所は所長が倒れて以降、完全な機能不全に陥っていた。
隣の福井県から一時的に助っ人が行っていたようだが、業務内容が全く違っていて戦力になっていないという話だった。
そういうこともあって、金沢から一日でも早く来て欲しいという悲鳴にも似た要請が毎日のようにあったが、私としても今の事務所の業務を全てほっぽり投げることも出来ずにいて、板挟みになっていた。


そうこうしているうちに、金沢の事務員の女性からFAXが送られてきて、こちらで住むアパートを決めてくれと5件ほど資料が送られてきた。
どれも似たような間取りで、いわゆる一人暮らし用のアパートばかりだった。
先方は私が独身だと知っているから当たり前なのだが、私の側に少々事情があった。


当時お付き合いしていた女性とそろそろ結婚でも、と思い始めていた時期だったのだ。
付き合い始めて3年目だったしお互い、いい年齢だったから結婚するならこの人だろうとおぼろげながら考えていた。
そんな思いはありながらも平凡な日常を過ごしていると、なかなかそれを言い出すきっかけもなく、ずるずると時間ばかりが過ぎていた。

そういうタイミングで、この転勤の話が舞い込んできたから、これも神様がくれた運命なのだと思って「一緒に金沢に行ってくれないか」とプロポーズしようと心に決めた。

決意はしたものの、引き継ぎと転勤先の業務を覚えることに忙殺されていて、彼女に会うための時間を捻出することは物理的に不可能だった。
彼女には転勤になるかもしれないとメールで送っただけで話すらしていなかった。


アパートを決めなくてはならない期日が迫ってきたので、プロポーズもまだしていなかったけれど、不動産屋に二人で住める部屋に変更してくれと要望を出した。
いきなり彼女を一緒に連れて行くつもりではなかったけれど、いずれ来てもらうつもりだったからどうせなら二人で住める部屋にしておきたかったのだ。

そのまま数日が過ぎて、引越し業者の見積に立ち会ったりしているうちに、お盆は目の前になっていた。

毎日限界まで引き継ぎの資料作成をしていてほぼ死にかけていた時にそれは起こった。
私の同僚が交通事故を起こしたのだ。

カブを運転中に真横から車に突っ込まれて大腿骨骨折の重症を負ってしまった。
私の業務を一手に引き継いでもらう予定だった同僚が、少なくても3ヶ月は入院が必要だろうという状況に陥ってしまって、私の転勤は事実上不可能になってしまった。
引っ越し予定の二日前のことだった。

金沢の欠員は、結局大阪の営業所から出すことになってその人はそのまま金沢の所長に収まった。

私はただただ無意味な作業に忙殺されただけで、何も残らなかった。

プロポーズの決意までしたくせに肩透かしを食らったことで気が抜けてしまって、その彼女には結局プロポーズすること無く1年後に別れてしまった。


金沢という単語を目にするとどうしてもこの思い出がよみがえってしまう。


彼女は二児の母になっていると最近風の噂で聞いた。