ネットの海の渚にて

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ネット上の人格の性別がわからないとモヤモヤする

http://www.flickr.com/photos/8078381@N03/2960260445
photo by pareeerica


こちらを読ませていただいた。d.hatena.ne.jp
自分の中でモヤモヤして思考のとぐろを巻いていたようなものを、バチッと言語化してくれた文章を読んだ際のエクスタシーったらそりゃ凄い。
Yashioさんの書かれた記事はまさにこれだった。

自分がどうしてネット上の相手の性別を、無意識のうちに判別しようとしてしまうのかというモヤモヤをズバリ書いてくれてあった。

直接「私は女性である」、「私は男性である」という表明を見ているわけでもないのに、どちらかだと思い込んでいるのは、読書の途中で読み方のわからない漢字熟語に適当な読みをあてて進めることと少し似ているような気がした。「とりあえず」であてた読みを、そのまま繰り返すうちに無意識のうちに定着させてしまう。そして数年たったある日、本当の読みをひょんなきっかけで知って(あ、自分は思い込んでいたのか)と知って唖然とする。
http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20150525/1432557954

ネット上でコミュニケーションする相手の性別がわからない状態っていうのが苦手だ。
こういうと「相手の性別によってお前は態度を変えるのか」と批判されそうだが、そう問われたらイエスと答えざるを得ない。
私はリアルにおいても相手の性別によって提供する話題や、あるいは配慮したほうがいいと思う事柄を変えている。
長年、営業畑の人間だからありとあらゆる人と関わってきた。
相手を見て、どういう話題で切り出したら上手くコミュニケーションが取れそうなのか。そんなことばかりをいつも考えて仕事をしていた。






できれば年齢もざっくりとわかったほうがいい。
それは決して性差別や世代によるレッテル貼りをしたいわけではなくて、単純にコミュニケーションを円滑に進めたいからにつきる。

その相手に相応しいと思う話題を提供するためにも、性別や年令というのは大きな判断材料になりうる。
そういった情報量が圧倒的に少ないネット上のコミュニケーションでは、実生活でのやり方が上手くいかない。
だから性別やその他がわからないままコミュニケーションすると、おしりの座りが悪くてムズムズするのだ。

40代男性と話す場合と10代女性と話す場合に内容が同じネタというのでは、殆どの場合成立しない。
ただネットの場合は「同好の士」が集まるケースが多いから、それぞれのパーソナルな情報が無くてもコミュニケーションが成立する場合が多い。
とは言っても、その感覚の延長線上で、Twitterなどでよく知らない相手にいきなりタメ語で話しかけたりする人がいるがそういうのは正直困る。
常に同じ「ノリ」があらゆる場所で通じるわけではない。


経験上こういうことを本能的にわかっているから、ネット上でも相手の性別やおおよその年令が知りたくなる。

相手がネカマならネカマでいいし、ネナベでも構わない。
ネット上の人格としての性別と年齢がわかればいい。
それがわかれば落ち着いてコミュニケーションがとれる(気がする)。

中の人とリアルが仮に違っていても、そこは構わないのだ。
相手もネット上のペルソナで会話するのだから齟齬は生じない。


こういう感覚は私が古い人間だからなのかもしれない。
ネットの人格といえどもやはりその向こうには生身の人間が存在している。
そこに思いを馳せないとコミュニケーションが上手く取れない事自体、もしかしたら時代遅れの象徴なのかもしれない。