ネットの海の渚にて

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ブログを続けていくことの痛みと苦悩

先日、この記事を書いた。
洋画もいいけど絶対見ておくべき おすすめ日本映画10選 - ネットの海の渚にて

一日一本の記事をアップすることを目標としているのに、本来書きたかった記事がどうにもうまくまとまらなくてボツにしたため、仕方なく以前から暖めていた映画の紹介記事に変更した。

邦画を普段見ない人に向けた記事だったがそれが伝わらず映画ファンから揶揄される結果となった。
10本の作品を挙げたがそれらは邦画初心者向けにチョイスしたのであまりに「濃い」あるいは「クセ」のある作品を挙げるべきではないと思っていた。
古い作品も名作だらけだが映画初心者には向かないと判断して除外した。
そうなると近年の作品でなおかつとっつきやすい作風が良いだろうとあのようなラインナップになった。

要は「ベタ」な作品が並ぶことになる。
映画ファンなら「こんなもん今更紹介すんのかよ」という気持ちになるのはよく分かる。
だからブコメに「これが日本映画を代表する10本か?」とか「若いな」と書き込まれる。
普段邦画を見ない方におすすめするという趣旨が伝わらずこのようなコメントが書き込まれる。

しかも映画の紹介文を「こんなの映画見てなくても書ける」と非難された。
映画をおすすめする以上当然ながら思い入れがある。
一本ごとの作品で一つの記事が成立するくらい書きたいこともあるが今回の趣旨は10本のおすすめを紹介することだったので極めて短い紹介文で仕上げたかった。
3~4行でその映画の魅力を表現するということにチャレンジしたがそれも裏目に出て揶揄される。
この記事を書いて本当に後悔した。
それでも参考になったとコメントしてくれる方もいたので削除するのは止めた。


ボクは映画が好きだ。但しレンタル派だ。
映画館に行くことは年に1~2回しか無い。映画好きを自認していながら不甲斐ないが腰を悪くして以来長時間同じ姿勢で座っているのが辛い。そのため映画館では気がひけるのだ。
そのためレンタル店に入り浸る結果となった。

年間に100本は視聴している。
映画を本格的に見始めたのは20年ほど前からで、それ以来年間100本を切ったことは無い。それどころか完全に映画の虜になっていた時期は年間300本をゆうに超えていた。毎日寝る前に1本見ていたから年間350本は見ていた計算になる。

映画中毒と言ってもいい。

ここ数年は年間100~200の間に落ち着いているが、それでも一般的な人に比べてかなり見ている部類だと思う。
この記事は予期せずブックマークがたくさん付きホッテントリに掲載された。
多くの人に読まれるのは確かに嬉しい事だがそれに伴い悪意を持った人も訪問する。


以前のエントリーでボクはこう書いた。

「ブロガーにとってコメントは栄養にもなるし刃物にもなる」



小さな悪意を持った一つ一つのコメントは刃物で例えればペティナイフぐらいだろうか。
その一太刀で致命傷にはならないが100回も切りつけられれば人は死ぬ。
コメントした人はちょっとしたイヤミを書いたくらいの認識だろうがそれらが積もり積もったダメージは計り知れない。

ブログは個人で運営している。もちろん一部のブログは複数人で運営している場合もあるし企業が運営していることもある。
それでも多くのブログは個人でやっている。

そうなるとそこに書き込まれた悪意のこもったコメントを一人で受け止めることになる。
この時の気持ちを想像していただきたい。
揚げ足取りなのかそれともツッコミのつもりなのかわからないが仮にそのコメントにジョークが込められていたとしても読み手にそれが伝わらなければ悪意でしか無い。


悪意あるコメントを書き込む方へ

貴方が読んだそのブログは血の通った人間が書いたものだ。AIじゃない。貴方と同じ人間が書いている。
批判をするなとは言っていない。批判をするならば的確な指摘をするべきだ。
例えば「つまらん」とわざわざ書き込むのならどこが「つまらん」のか指摘して欲しい。的を得た指摘であればそれに対応できるが悪口だけでは改善のしようが無い。
指摘することが面倒ならばコメントしないことが最良の選択だ。

貴方がインターネットに接続するのは何かしらのコンテンツを楽しむためだろう。
自分の好みでは無いコンテンツに対して悪意のあるコメントを残すことに意味があるのだろうか。そのコメントで傷つきコンテンツを生み出すことをやめてしまったらどうだろうか。
確かに貴方はそのコンテンツが気に入らなかったのだからどうでもいいと思うかもしれない。
けれど貴方が楽しみにしているコンテンツがどこか誰かの悪意のコメントによって閉鎖されてしまったらどう思うか。
「なら他を探すから関係ない」とあなたは言うのだろう。
また新たな場所で同じことが繰り返されるのに。

そうやって貴方を含めた多くの者が悪意のコメントをまき散らすことでコンテンツが消滅していくことに危機感を持たないのはあまりにも思慮が浅すぎではないだろうか。


コンテンツを消費するだけで自分は何も生み出さない。

誰かが作ったものに対してなんの躊躇も無く悪意をぶつける。
人を批判することで相対的に自分の地位が上がったような優越感に浸る。
自分では何も生み出さないのにだ。

自分の基準で判断するのは正しい。
面白いか面白く無いかは絶対的な基準が無いからだ。
だからといって自分の気に召さないからと攻撃するのはいかがなものか。
その攻撃は何かを生み出すことができるのか。
ヘイトはヘイトしか生み出さない。
貴方が面白く無いと斬って捨てたそれを面白いと感じている他人もいる。
その人達が楽しんでいるコンテンツを奪うことになるかもしれない。

自分が普段何気なく書き込みしているコメントが、もしかすると誰かを傷つけているかもしれないと今一度確認していただきたい。

悪意のコメントは何も生み出さない。


皆様へのお願い

どうかほんの少しでもコンテンツを作っている側の気持ちを想像してみてください。
貴方のコメントによって作り手はやる気をもらうこともできるし的確な指摘をいただくことで成長することもできます。
コメントを書き込む際にこの記事のことを思い出していただけたなら本望です。

心に響く言葉―真摯に生きる人のための人間学

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