ネットの海の渚にて

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男らしさ女らしさというジェンダーロールからどうすれば解放されるのかという難問

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電脳空間に飛び込んだ人のイラスト(いらすとやより)
こういうのを読んだ。
billword.hatenablog.com

男らしさ、女らしさというのはもちろん現時点での社会的な役割や文化や宗教などの相対的な部分で規定されるところが大きいけれど、もっと純粋に単純化していくと最終的には「強いオス」「魅力的なメス」といったところに分解されるのだと思う。

ジェンダー論という新しい議論と、本能に基づく生殖という最も古い部分が同時に作用しているが故に解決が非常に困難な問題として我々の眼前に立ち塞がっている。

私は上記の記事のブコメにこう書いた。

男だって弱くていいだろ - billword’s blog

基本的に生物は強いオスがメスに選ばれるわけでそれを人類に置き換えたときにどれだけ本能の部分に引っ張られることなく理想的社会が実現できるかっていうと残念だけどまだまだ人類はそこまで進化してないと思うよ

2019/01/21 02:05

ブコメというのは100文字という制限があるから無理に詰め込んでいるところはあるのだが、まあ実際そんなふうにこの問題を見ているところがある。

現実社会において、男らしさや女らしさというとても面倒で厄介なものでも実際にはこのロールモデルにうまいこと順応する事ができると様々な面で明らかに有利に働くことは実体験としてある。
言ってしまえば、男らしい男はモテるし、女らしい女もやはりモテる。
モテるということが社会的な成功というロールモデルが存在しているのは歴然とした事実である。なにせ恋愛から降りた男女は負け組として扱われる世界というのが端的にそれを表している。
少なくても現時点でのこの世界はまだ、社会が要求する「男らしさ女らしさ」に順応したほうが生きていくのに有利に働き、それに逆らった生き方は困難が伴うのは間違いがない事実だろうと思う。


人間が生物である以上、生殖とは切っても切り離せない。
生殖は最も原始的で根源的な欲求であるから「生理的」であるのは仕方がないことでもある。
いわゆる「生理的に受け付けるか受けつけないか」という動物的な本能に左右される事象なわけでここには理知的な論理などは介入できない。
だからこそジェンダーロールという面倒な問題は人間が生殖から解放されない限りついて回る厄介な問題である。

だから私はブコメで「まだ人類はそこまで進化していない」と書いた。

じゃあどうやったら人類はジェンダーロールの呪いから開放されるかというと、肉体からの精神の解放しか無いと私は考えている。
電脳化されその人間の魂が肉体から解放されなければジェンダーロールからも解放されない。なぜならばジェンダーとは肉体そのものにかけられた呪いだからだ。
肉体がある以上、オスメスの呪縛からは逃げられない。

肉体に魂が囚われている限りジェンダーの問題は解決しない。ジェンダー論を論客たちがどれだけこねくり回しても絶対に解決しないと断言してもいい。
しかし逆に言えば我々を悩ますこの超難問は科学技術が解決してくれるということだ。
私は科学技術に期待しているし、そしてその世界はそれほど遠くない未来にやってくる気がするがどうだろうか。(これについてはまた別の機会で書きたい)