ネットの海の渚にて

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林業に人生を捧げ、老いてもなお山間地に住む老人たちの気持ち

先日書いたこの記事に多くのご意見をいただくことが出来た。
dobonkai.hatenablog.com

高齢者が起こす自動車事故を防ぐために短絡的に免許を取り上げてしまうと、また別の社会問題が発生するということを伝えたかったので、別の方向に話を広げると論旨がとっ散らかると思いあえて触れなかった部分もある。

今回はその、あえて触れなかったところを書こうと思う。


本家がある村は林業で栄えたと書いた。
林業というのは労働集約型産業の最たるもので、山の男たちのマンパワーによってどうにか営まれてきた業界だ。
私が高校生くらいのときに、伯父から夏休みのバイトとして手伝いに来いと言われて行ったことがあるが、わずか2日で音を上げた。

鹿ですら転げ落ちるような急斜面をひょいひょいと移動しては間伐したり枝打ちや下草を刈る。
山の男たちの尋常ではない動きに面食らってただただ唖然とするだけで私は何もできなかった。

何年かに一回は、誰かが滑落して大怪我をするのが当たり前の状態なのに、ろくな安全対策などもせず毎日あんな仕事をしていたのだから、時代とは言え無茶苦茶だなと今になって思う。

そういうキツイ現場仕事なので元気だったころならいざしらず、皆が揃って歳をとってしまうので、去年はあの山、今年はこの山と、どんどん放棄される山が増えてきている。





この国の山間部の保全は林業の担い手によって担保されていた部分も相当多い。

良い杉林を育てるために山の手入れは怠れない。
それが結果として山の保全に繋がっていたのだが、山仕事が放棄されると問題が起こる。

そもそも杉の植林というのは、自然から見ると極めて歪な状態だ。
本来このあたりの山林は広葉樹林が自生していた。それを商品価値の高い「杉」や「檜」に植え替えたわけで、人間が手入れを怠ると、あっという間にバランスが崩れてしまう。

人の手が入らなくなった山では、今までなら問題にならなかったレベルの降雨でも、斜面が崩れたりする。
その崩れた土砂が山中にある谷に流れ込んでダム状になり、鉄砲水や土石流というさらなる被害を起こしかねない状態になったりもする。
山体が大きく崩れれば、下流にある電力会社のダムに土砂が流れ込んでその機能を奪ってしまうかもしれない。

これらは基本的に誰かの所有している山の中で発生することなのだが、大規模な山崩れなどが起これば、個人の範疇だけにとどまらず、社会インフラに影響が出かねない。

それとこのあたりの山林は水源になっている。
この村の近辺が川の源流になっているので、この一帯が荒れに荒れた場合、水源そのものにどのような悪影響が起こるか予想もできない。


今までは林業従事者の山の手入れが結果として山林の保全につながっていたわけだが、林業の担い手がほぼ絶滅状態になってしまった現状をこのまま放置していたら、今後日本のどこかで大きな事故が発生するのは避けられない。


前回の記事に寄せられたコメントを読むと「田舎を引き払って都会に出てくればいい」という意見が多かった。
確かにロジカルにコスト計算をしたらその結論で正しいと思う。
田舎に住むのは今の時代「贅沢」だという意見もあった。
好きで田舎に住んでいたのだから、年を取ってから他人の税金にたかるようなことをするなと言うような意見もあった。


日本の国土の7割は山間地が占めている。
戦後、全国の山に杉を植えるのは国策だった。
山の男たちはその言葉を信じてせっせと植林して山を守ってきたが、現在の林業はジリ貧の状況に陥っている。そんな業界だから新しい人材が入ってこない。

「お前たちは年を取ったのだから山を捨てて街に降りてこい」というのは確かに理にかなっている。
社会が応分するコストを計算したらそれはきっと正しいことなのだと思う。
けれど生涯をかけて山を守ってきた伯父たちの気持ちを想像すると私には言えそうもない。