病院の付き添いなんて何年ぶりだったか。
ちょっと思い出せない。
巨大なエントランスをくぐるとすぐ目の前の大型モニターに「本日の予約患者数は1606人です」と表示されていて早速ゲンナリする。
県内でも有数の大病院の総合待合室はごった返していて、様々な人々の悲喜こもごもが垣間見ることのできる場所だ。
俺は待合室の一番片隅にあるベンチに座って周りを眺めていた。
どう見てもヤ○ザな男が、あきらかに足を骨折しているだろうとわかる大仰なギプスをはめているのに、両脇に抱えた松葉杖を一切使わず大股で肩で風を切って歩いているのは随分ロックな光景だった。
小学生とおぼしき少年が、車いすで曲芸まがいにその場で前輪を浮かせたままクルクルと回って見せたりしている。
母親に見つかって叱られて止めるのだが、目を離した隙にまた周り出す。
まだ幼い少年が自分の手足のように車いすを扱えるのは、それだけ長い間それに乗って生活していることを想像させる。
自分で歩くこともままならない御高齢のご婦人の腰にぐっと腕を回しながら、もう一方の手は優しくご婦人の手を握ってエスコートしている老紳士を見た。
お二人があと50年若かったらこちらが赤面するぐらいの熱烈っぷりだ。
おそらくご夫婦であろうお二人の今まで歩んできた歴史が、これもまたどんなものだったかは容易く想像できる。
総合病院には乳をねだる赤子を抱いた若いお母さんの隣に、自らの死期を悟ったご老人が同じベンチに座っていたりする。
生と死が隣り合わせに存在している稀有な場所だ。
まさに人生の交差点でありそれぞれの悲喜こもごもが見て取れる場所だ。
これからもおそらくずっと俺はここに来なければならない。
これから続く検査に次ぐ検査。
素人の俺がその結果に一喜一憂していても仕方がない。
鬱々と待合室で時間を過ごしたって結果が良くなるわけじゃない。
だから俺はこの様々な階層の様々な歴史を背負った人たちを、待合室の片隅から眺めて思いを馳せることにした。