断捨離について考えた話
ムダによって養われるリテラシー - あざなえるなわのごとし
この記事を読ませていただいた。
今回は断捨離についてちょっと考えてみたい。
断捨離とは簡単に言えばモノを捨ててシンプルに生きようというのがコンセプトであり、俺が違和感をおぼえる一番のポイントでもある。
モノに対する思い入れというのは個人によって大きく違う。
モノが増えるということはその入口は買い物だ。
買い物のスタンスも人によって大きく違う。
俺が何かを買う場合に思いつきで買ってしまうことは殆ど無い。
そのモノが自分にとって本当に必要かどうかを事前に充分検討しているから入手後に不必要になることはまず無い。
断捨離という言葉が流行ったときに自分も身の回りにいらないモノが無いかと見回したがそんなものは見つからなかった。
元々無意識に断捨離していたのかと言うとそれはちょっと違う。
断捨離にはとにかくモノを減らすというコンセプトがあって、もっと言うと物欲を否定しているように感じる。モノを持つことによって拘束されることからの解放であり、モノの価値そのものを疑い物欲とは空虚なものであると俺は理解している。
俺は物欲にまみれている。
手当たり次第になんでも買うわけではないが必要な物は吟味して購入することにある種の満足を感じている。
だからモノを持つことを否定していないし、むしろ物欲は日々のモチベーションを上げる重要なことだと思っている。
モノに対する執着心が異常に薄い知人がいる。
彼はあるモノを手に入れたあと、それをいとも簡単に手放してしまう。
彼にとってそれはあたりまえのことらしいが俺からするとモノに対しての愛情が感じられないし明らかに無駄な出費をしているとしか思えない。
断捨離という言葉に俺が引っかかるのは、簡単にモノを捨ててしまう(手放す)ことができる感覚だ。
俺からすればそれを実行出来る人はモノに対して愛着も持っていないし、そもそも入手するときに頭を使って考えていなかった人なんだろうと思う。
普段の生活で不必要になるモノは出てくる。
役目を終えたモノは感謝をして捨てるなり人に譲ればいい。
買ったはいいが結局使わなかったというのが最大の無駄であって、モノにしたって使ってもらえなければうかばれない。
断捨離に影響されてごっそりと物を捨てた人は自分の今までの買い物の仕方に問題があったのでは無いか?
モノの価値は必要とする度合いによって相対的に変化する。
無駄に思えるモノが身の回りにあふれているのは自分の審美眼とは言わないもののやはり見る目が無いとしか思えない。
断捨離が流行したのはおそらくそういう人が多かったということなんだろう。
無駄なものを大量に保持しながらそれに気が付かなった人達に啓蒙する意味は確かにあったのだと思うが、そうなるもっと前の段階。つまり買い物の時点でそれが本当に必要なモノなのか判断出来ない人は同じことを繰り返すことになる。
経済的観点からすれば無駄に金を使ってくれる層がいることはありがたいのかもしれないけれど……。
そんな人達が「断捨離」の本を捨てるのはいつになるんでしょうかね。
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