ネットの海の渚にて

私の好きなものを紹介したり日々のあれやこれやを書いたりします

キレる老人について考えてみた話

「キレる老人」問題と、現代居住空間の世代間断絶
これを読んだ。

俺は以前家電販売店で10年ほど勤務経験がある。
その時でも所謂モンスタークレーマーは60才以上の高齢男性が多かった印象がある。
理不尽な要求や常軌を逸した言動など、場合によっては暴力を伴いかねない極端なクレームを持ち込むのは決まって高齢男性だった。




朝一で売り切れた数量限定の特売品を昼過ぎに来て「売れ」と要求したり、10年前に購入した冷蔵庫が壊れたから中身を弁償しろなどという無謀なクレームをよく受けた。
彼らには彼らなりのルールがあってそれを店側に押し付けようとしてくるのだが、当然ながら理不尽な要求には答えられない旨をお伝えすると、大抵大声を出して威圧してくる。
胸ぐらを掴まれたことも一度や二度ではない。

どうも彼らは自分の要求が通らないことは自分自身を否定されたと捉えてしまうらしい。
それがどんなに常識を逸脱した要求だったとしてもだ。


ここからは憶測になる。
キレる高齢者はおそらく社会的に疎外感を持っているのではないだろうか。
年齢を重ねることによって定年を迎える。その結果、社会のシステムから外されてしまう。もちろんこれを第二の人生と考えて有意義な時間を過ごす人もいれば、人生において培った貴重な経験と技術を次の世代に還元するために今までとは違った形で社会システムに携わる人もいる。

キレる老人と言われる人はこの社会システムから除外され、また別の形で貢献や協力も出来ずに取り残されてしまった人達なのではないか。

彼らの世代が子供の頃はまだこの国が発展途上のうちにあった。
身近な老人と触れる機会も現代と比べて圧倒的に多かったはずだ。
当時の老人は一定の尊敬と畏敬を廻りからもたれていただろうし本人も子供心に老人とはそういうものなんだろうという理解があったと想像する。


時代は移り変わって現代になると核家族化はさらに進んで若者と老人が接する機会は少なくなっている。
ムラ社会で保たれていた年功序列による尊敬の担保は都会化によって喪失してしまった。

そうなったことで自身が思い描いていた老人像と自分がその歳になった時の乖離は社会からの疎外感と合わさって孤独感を助長させているのではないだろうか。

なぜ自分は尊敬も畏敬も得られないのか?
社会的に孤立した老人は、そうした無意識下の渇望が店舗等の相手が圧倒的に不利な状態において横柄な態度をとらせたり、相手に理不尽な要求を押し通すことで尊敬や畏敬を得られなかった代償として発散させているように思える。
自分の意見を無理やり尊重させることでプライドを保っているようにこちらからは見えるのだ。
まさに「代理欲求」と言える。

今後もこういった老人は増えることが予測される。
只のクレーマーだったはずがエスカレートした挙句、触法老人の激増などといった社会問題も起こってくるのではないかと危惧している。
我々がやるべきことはそういった社会から孤立した老人をあらゆる手で再度社会システムの中に取り込むことではないだろうか。
もしくは希薄化してしまった世代間のコミュニケーションを昔のような濃密な関係に戻すのか……。おそらくそれは難しい。
ムラ社会時代の世代間コミュニケーションが「面」だったとすると現代はおそらく「点」でしかない。
これを今更「面」に戻すのは相当の困難が予想される。
だからといってこの問題をこのまま看過していいはずがない。
母数が増える高齢化の波は今後も加速していく。


見当違いな意見と取られるかもしれないが「キレる老人」の正体はこんな人達なのではないかなと想像している。

キレる大人はなぜ増えた (朝日新書 90)

キレる大人はなぜ増えた (朝日新書 90)

クレーム・パワハラ・理不尽な要求を必ず黙らせる切り返し話術55の鉄則―「あなたの心と立場を守る!」

クレーム・パワハラ・理不尽な要求を必ず黙らせる切り返し話術55の鉄則―「あなたの心と立場を守る!」

そこまでするか! モンスタークレーマー

そこまでするか! モンスタークレーマー