なんだかんだあるけどAmazonはやっぱりトラブったときに優秀だと思う
これを見るとやけにAmazonへの不平不満がたくさん見受けられるけれど、私の経験上Amazonのカスタマーサービスは楽天やヤフーショップなどのECサイトに比べてかなり「緩い」印象を持っている。
この「緩い」というのは客側の言い分をほぼ丸呑みするタイプの「緩さ」であって、いうなれば客側が圧倒的に有利になっているということだ。
弱者切り捨て自己責任の果てにある世界
『自分では死ねないから、大量殺人を犯して死刑になるために事件を起こした』『仕事で失敗して友人関係もうまくいかず死にたかった』とも話している。
bunshun.jp
今のこの世は弱者切り捨て自己責任論が幅を利かせてるわけで、そうなるとどこかで失敗して躓いてしまった人は容易に世界に絶望して「無敵の人」になる。このままならそういう人が増え続けると思うんだよね。
で、確率論的にその中で本当に死刑になるための事件を起こすやつが出てくる。
当時だっていじめはかっこいいものではなく社会問題でしたよ
小山田のいじめ問題にまつわる話で、「当時はいじめを楽しんでも問題なんて無かった」みたいな言説が複数TLを流れてきて、勝手に時代を語って嘘を付くなよという思いがいっぱいなのでコレについて書きたいと思う。
続きを読む「90年代はイジメがカッコいいなんて価値観は無かった!(キリッ」って言われても困るんだよな。あなたの周りではそーでしょうよ、あなたの周りでは、としかいえないやんそれ。サブカル界やアングラ界隈ではそういう価値観があったから雑誌に特集されたんだし。史料でキッチリ残ってるものを否定すな。
— ぶたお@もてラジ (@kentlow) July 19, 2021
障害者が住みやすい世界はきっと皆が住みやすい世界
JRで車いすユーザー乗車拒否にあいました。「階段しかない駅なので案内はできない」と。今の時代でも悲しいかな、よくあること。バリアフリーって全然進んでいない、むしろ無人駅が増え後退してる。味方が必要なので、長いですが、どうか読んでください、シェアしてください。https://t.co/0yvaje4eaS pic.twitter.com/XjkSTNxnPh
— 伊是名夏子♿︎コラムニスト (@izenanatsuko) April 4, 2021
blog.livedoor.jp
まあもちろんこの人のやり方っていうのはいわゆる活動家っぽくて、そういうところに引っかかって嫌悪感を持つ人もいるのはよくわかる。
つまり同じことを訴えるにしても、もうちょっと穏健的なやり方もあるだろうっていうね。
だけど私はこういう「物言う弱者」が、批判を恐れずに声を上げることこそが、弱者の権利の拡大につながる行動だと信じているし、実際に過去の事例でもそういう先達がいたからこその今があると思っている。
【ヴィーガン】肉食は野蛮な行為なのかということについて考える
このツイートがバズっていた。
ヴィーガンを容認できないのは「食べていい命を選別してる」ってことなのよね。仏教的には植物も命だから「人間はなにか他の命を奪わないと生きていけない。」なんだけどヴィーガンは「植物は痛みを感じないから食べてよし。我々に罪はなにもない。道徳的に穢れがない」だから嫌われるんだ。
— もへもへ (@gerogeroR) 2019年12月25日
ちなみにこんなツイートに真面目に突っ込んでも無粋なのだが、ツイ主が仏教を持ち出しているので一言物申させてもらうと仏教こそヴィーガンの先駆けというか極みみたいなものだし、仏教でいうところの植物は有情(動物などの生き物全般)の反対である「無情」の扱いなので論が破綻してますよってことは突っ込んでおきたい。
余談はここまでで以下本題。
ツイッターというかネット界隈ではヴィーガンの評判はすこぶる悪い。
それっぽく言えばパブリックエネミー的な扱いになっている。
まあそれはヴィーガンを自称する方たちの良く言えば先進的な悪く言えばエキセントリックで攻撃的な言動が、非ヴィーガン陣営からすると嫌悪感をおぼえるというのがその正体なのだと思う。