ネットの海の渚にて

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当時だっていじめはかっこいいものではなく社会問題でしたよ

小山田のいじめ問題にまつわる話で、「当時はいじめを楽しんでも問題なんて無かった」みたいな言説が複数TLを流れてきて、勝手に時代を語って嘘を付くなよという思いがいっぱいなのでコレについて書きたいと思う。


上記のような内容のツイートを複数見た。
同じ時代を生きてきた人間として断言するが「いじめがかっこいい」なんて価値観は少なくても一般には無い。
いじめを楽しむようなものが雑誌に乗っていたんだから「そういう価値観だった」というのは無理がある。
同じころブームになった週間マーダーケースブックというのがあるが、それが話題になって大流行になったのだから当時は大量殺人が許されていたというくらい無理がある。

確かに人間は多種多様に存在するのでツイート主のように「いじめはかっこいいもの」という認識で生きていたおかしな連中も若干はいただろうが、決してそれは主流派ではない。
少なくても当時はすでに苛烈ないじめの例がマスコミで報じられることが多々あり、いじめは社会問題化していた。
そういった社会問題を逆張り的に冷笑していた界隈こそが今回問題になった雑誌だったりするのだが、そういった事実をもって当時は「いじめはかっこいいもの」とされていたというのはあまりにも無茶苦茶である。
一部のエキセントリックな意見をあたかも全体がそうだったみたいにすり替えるのをやめろ。

続いてこのようなツイートもしている。
これもおかしい。
このCMでようやく世間が気づいた的な論を展開しているがそんなことはない。
山形マット死事件は1993年だし、その事件当時あきらかになったあまりに酷いいじめの内容に世間は戦慄し大問題になる。
このときに改めて過去の類似事例などが掘り返され、いじめという問題はきちんと取り組まなくてはいけない緊急性の高い社会問題とされたのを憶えている。
ツイート主が引き合いに出しているこのCMより少し前、確か80年代の終り頃に、「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というめちゃくちゃインパクトの強い有名な公共CMがあった。
www.youtube.com
このCM以前は覚醒剤をやっても人間やめなくてよかったのかと言われたらそんなことは絶対にない。すでに覚醒剤が社会問題だったからこういったCMが作られたわけだ。
前園のいじめかっこ悪いCMもやはり同様で、いじめが社会問題化していたからそれを世に広く啓蒙するために作られたCMである。いじめがかっこいいものから、このCMをきっかけにかっこ悪いものに変わったわけではない。
www.youtube.com



元ツイートの人の言ってることも一部ではあるが理解できるところもある。
確かに当時そういったことを露悪的に自慢することが、なにやらかっこいいとするような風潮が一部であったことは認める。認めるがそれはあくまでも極一部の界隈でしか無い。

ではなぜそんな悪趣味な罪の暴露が見逃されていたのかというと、端的に言えば当時は「ネットがないから」である。(注:もちろん当時だってパソコン通信等があったし、WIN95が出た頃なので全くネット環境が無かったわけではないが、この時代にネット環境を構築するには高額な投資が必要でそれを乗り越えられたのは一部のアーリーアダプターでしかなく、普通の人が気軽にネットを利用するのはもっと後になる)

例えば小山田の例のいじめ告白記事に猛烈に怒りを覚えて抗議しようと思っても、当時の何者でもない一般人が取れる行動といったらその雑誌社に抗議のはがきを送りつけるくらいしか無かった。
あの雑誌を読んで義憤に駆られた者が同時にそれなりの数が存在したとしてもそれらを結びつけてまとまった抗議に発展するような仕組みが無かった。
だから当時のマスコミは何らかの組合や団体に目をつけられない限りやりたい放題だった面がある。
逆に言えば、当時の障害者団体などがあの時に正式に抗議に動けば20数年を経てここまで大問題にはならなかったとも言える。

ちなみに当時は部落解放同盟などによる言葉狩りがやりすぎではないかと問題視されていた時代でもある。筑紫哲也が糾弾会に呼ばれたのは90年だったし、筒井康隆の断筆宣言は93年だ。
つまりマスコミは解放同盟のような抗議団体に目をつけられれば、あっという間に謝罪して出版物を引っ込めるくらいの根性しかなかったわけだ。
そんな弱腰の風見鶏的なメディアがいじめを楽しむような内容を載せていたのは、決して社会に許されていたのではなく、怖い抗議団体に見つかっていなかっただけである。

大事なことなのでもう一度書くが、いじめがかっこいいなんていう価値観は当時だって認められていなかった。
一部の露悪的なメディアがおもしろおかしくいじめを取り上げていたのは事実であるが、それは抗議団体にみつかっていなかっただけで、社会的に許されていたわけではないし、もし当時抗議団体に見つかってさえいればあっという間に謝罪がなされ雑誌は回収ということになっていたのは想像に難くない。
あんな雑誌のあんな内容が許されていたのではなく、ネットがなく市井の人々が今のようにSNSなどを使って容易に一致団結することが難しかった時代だからこそ、見逃されていただけなのだが、それを勘違いして「当時は許されていた」と歴史修正するのをやめてもらいたい。