ネットの海の渚にて

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障害者が住みやすい世界はきっと皆が住みやすい世界


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まあもちろんこの人のやり方っていうのはいわゆる活動家っぽくて、そういうところに引っかかって嫌悪感を持つ人もいるのはよくわかる。
つまり同じことを訴えるにしても、もうちょっと穏健的なやり方もあるだろうっていうね。
だけど私はこういう「物言う弱者」が、批判を恐れずに声を上げることこそが、弱者の権利の拡大につながる行動だと信じているし、実際に過去の事例でもそういう先達がいたからこその今があると思っている。


私が子供だった30~40年くらい前はそれこそ車椅子の人がその辺の駅を利用できるような環境になんて全くなっていなかった。
そういう現状を私は覚えているし、だからこそ障害者の方々が自分たちの権利を拡大するために、そして生きやすい環境を得るために活動してきたことも知っている。
そういった連綿とつながる地道な活動が今日のバリアフリーにつながっているのは疑いの余地がない。
けれどもそのバリアフリーはまだまだ完璧ではない。今回のケースで言えばそもそも無人駅での話なので現段階でのバリアフリー化では行き届いていない場所になる。
これが利用者の多い大きな駅であればバリアフリー化も進んでいてこんなことにはなっていないのだが、ここで忘れてはいけないのはその大きな駅のバリアフリーだって障害者の方々の活動や運動の結果勝ち取ったものであって昔から当たり前にそこにあったわけではないということだ。
エレベーターを作ったり、階段の横にわざわざ車椅子のためにスロープを作るのは健常者からしたらただのコスト増でしかない。いつの間にかそういう光景が当たり前になりつつあるのは障害者の人たちが地道に頑張った結果だ。


今回は無人駅が焦点になった。
「無人駅なんだから障害者のために配慮なんてできるわけがないだろ」
そういう意見をネットでよく見る。
今は公共性の高いエリアには当たり前になるつつあるバリアフリーも、始めたばかりの頃ははまさにそういう反応だった。

「健常者に比べて圧倒的に少数なんだから障害者が配慮すればいい」
「そもそも乗降客が少ないから無人駅になっているのに、そこに駅員を3~4人も集めさせて車椅子の上げ下げをやらせるなんて図々しい」
今回の無人駅の件で、障害者の方を批判している人たちは要はこういうことを言っているわけだ。
確かに障害者に配慮せよと言われてもできることとできないことがあるというのは現実問題として避けられない。

それでもだ。
どんなことを言われても頑張って活動してきた先達がいるからこそ、今のバリアフリーがある。
今回の話題になっているこの方も、確かにやり方に強引さはあったけれど、弱者の権利拡大というくさびを打ち込んだという意味では成功している。
次は今回打ち込んだくさびを利用してさらにもう一歩奥まで次のくさびを打ち込めるようになるだろう。
先達がそうしてきたように少しずつでも進んでいくしかない。

車椅子に優しい世界はベビーカーにも優しい世界だろうし、足の悪くなった高齢者にとっても住みやすい世界になるだろうと思う。
そして私達はやがて誰しもが高齢者になるわけで、そういう意味では同じ側の一員でもある。
そうやって考えてみるのも悪くない。